赤ん坊はじっとしているとそれだけで泣き出すが、体を揺らしてやったり、景色を変えてやると泣きやむ。変化が起きないと恐がるのだ。登場人物たちがこれに似ている。とにかく移動ばかりしていて、それも何の目的もなく移動していて、自分をもてあまし、いつも金がない、女はどこだと言っている。さびしがりやで、大きな音が好きで、変わったものが好きで、トラブルを恐れない。まさに体の大きな赤ん坊といった感じ。と言うとしょぼいように聞こえるかもしれないが、とんでもない。むしろ根源的な人間の姿が描かれているのだ。こんなふうにして、人は何千年も生きてきた。山の向こうの、海の向こうの未知なる世界を求めて、いや実は母のあたたかい子宮を求めて、大騒ぎしながら旅をしてきた。そして、文学そのものがそういう旅だとも言える。どこか遠くにある見知らぬ何かに出会うため、人は読む。そして書く人の思いも無限のかなたへ旅をする。たとえばカフカは、一度も行ったことのないアメリカを舞台にした長編を書いたが、その作品がやはりこの世界文学全集に入っているというのは偶然ではないだろう。外へ向かおうとする一貫した視点が感じられる。個人編集ならではのよさだ。
この小説がすばらしいのは何より人間が生き生きと描かれている点で、出色はやっぱりディーンだ。ほとんど孤児同然の人生を送ってきたディーンのはちゃめちゃぶりが、この本を支えている。そしていろんなものにぶつかりたくて、ディーンと徹底的に関わろうとする勇敢なサル。これで二人が固い友情を誓いあってハッピーエンドに終わったら少しがっかりだが、そうはならない。どうなるかは本書を読んでほしいのだが、これがなんともリアルだったし、彼らの旅をぐっと引き立てる結果になっていてよかった。ふとアメリカで知り合った孤児の友人を思い出す。彼女もまた周囲の人々と温度差があって、悪意はないのに、なぜかいつもトラブル続きだった。そしてディーンのように、孤独な人間をかぎわけるのがうまかった。エリートになったり金持ちになったりすることだけが成功ではないことも知っていた。人は、あらゆる形で輝くことができるのだ。ディーンもサルも、この小説で最高に輝いていた。彼らは自分が時代に、そして死に追われていることを知っているかのように走り続ける。戦争のレスポンスとして書いたかどうかはわからないが、死はいまよりも確実に近くにあって、だからこそ生きることに熱狂し、前のめりに生き急いだのかもしれない。彼らは本当に輝いて見えるけれど、生き方はあくまでも不器用で、それが妙に愛おしくもある。また彼らのように輝くアメリカの若々しい光だけでなく、こわくなるほどの黒い影も書きこまれていて、彫りの深い作品に仕上がっている。
翻訳がすばらしくて、若者たちの疾走感を文章が邪魔しない。リズムがいいせいか、つまずいたり、引っかかったりすることはないし、言葉が物語より前にしゃしゃり出てくることもない。日本語がこれほど自然に破天荒なアメリカの若者と溶けあったことは驚きである。こうなると、読む人がしっかり熟睡して小説の夢を見られるように、完璧なベッドが用意されているようなものだ。だから読者はどんどんのめりこめる。いつしか文章を読んでいることを忘れ、ディーンの車に乗りこみ、匂いや温度や彼の孤独までを感じる。五十年も前に書かれた本なのに、まったく古さを感じさせない。「本物」を読んでいる、確かにそういう満足感を得られた。
あせりを感じて落ちつかない人、閉塞感を持っている人、悲観的な気持ちになっている人、みんな本書を読むべきだ。きっとパワーがわいてくる。女の子でも大丈夫。むしろ、男は本来こういうものだと頭にたたきこんでおいたほうがいい。