リアル
さきほど佐藤秀峰さんの公式ホームページを楽しく見ていたついでに、なにげなく「プロフィール」のところを明けたら、そのとても長い身の上話に不覚にも涙が出てしまった(妙にリアルに想像できた)。そして背筋が伸びる思いがした。と同時に、こうも思った。辞めてよかったんだ。よかったんだぞ(これは私事)・・・。佐藤さんは作品をネットで有料配信する試みを始めている。これからも注目(&応援)していきたい。
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さきほど佐藤秀峰さんの公式ホームページを楽しく見ていたついでに、なにげなく「プロフィール」のところを明けたら、そのとても長い身の上話に不覚にも涙が出てしまった(妙にリアルに想像できた)。そして背筋が伸びる思いがした。と同時に、こうも思った。辞めてよかったんだ。よかったんだぞ(これは私事)・・・。佐藤さんは作品をネットで有料配信する試みを始めている。これからも注目(&応援)していきたい。
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寒いー。ついにストーブを出しました。秋が深まってきましたね。押し入れの衣替えも済んで、秋のおしゃれを楽しみたい今日この頃です。今年は、リオベラとか派手な韓国系ジーンズをはきたい気分。まず、やせなきゃ・・・。といいつつ、私は上半身からやせるので、脚が細くなるまでには時間がかかります。だから本当に脚までやせたときには、すでに違うものが流行しているのは目に見えてます。そもそも、その手の派手なジーンズをはいているのは主に十代後半のギャル系。まー、やめといたほうがいいかもしれません。私は性格も行動も地味な人間なのに、ときどき血迷って派手なものを身につけてしまうことがあるんですね。ゴールドのハイヒールとか、革のスリット入りタイトスカートとか、光り輝くサテンのパンツとか、胸が大きく開いたセクシー系カットソーとか、超でかいサングラスとか持ってます。かつては光り輝くコートも持っていましたが、あまりに人々の注目を集めるため、捨てました。特に二十代後半は爆発してたなあ・・・。その傾向が、また訪れつつあるような気がしてなりません。ひょっとすると、中年の危機? 寒いオバサンにならないように気をつけよう~。
さてアマゾンのKindle、日本解禁。英語の本しか読めませんが、届くまで日数がかかることが多い英書が、ダウンロードするだけでその場で手に入るようになります。さあどうする。円高だから、この際買っとこうか? 迷いますねー。たとえ円高でも、この値段は高い。ハードがこれだけ高いなら、ソフトであるkindleバージョンの書籍はもっと安くしてほしいところですが、ペーパーバック版とたいして変わらないみたいですね。きっと重さもたいして変わらないでしょう。しかも、日本のアマゾンのホームページからは買えません。あらためて米国版アマゾンに登録して国際便で送ってもらうのです。うーむ。うーむ。うーむ。やめた(笑)。
さ、「嵐が丘」の続きを(日本語で)読も。タイミングよく台風が来ているので、気分が盛り上がります。ひさびさに大型の台風だというので、思わす食料を買いだめしてしまった私。明日は一日引きこもります・・・。
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絵の教室に行ってきました。ずいぶんかかった貝殻の絵が完成して、いまは木製の鴨を描いています。まだ下絵の段階ですが、木の質感を出すのが難しそうで不安。なんとか今年中に仕上げたいのですが・・・。これがうまく描けたら、額を買って自分の部屋に飾ろうと思っています。つまり、絵を始めて三年たち、やっと「許せる」程度になってきたわけです。そう、いままでは絶対許せませんでした。自分の作品が不快で・・・。私は自分の文章にもよくこの不快感を感じるのですが、もしかしてがんばって書き続ければ、いつかは「許せる」ようになるんでしょうか? そう祈るしかありません。ところでマイケル・ジャクソンの映画公開、もうすぐなんですが、どういうわけかチケットとか、突然どうでもよくなってしまいました。昨日あたりからほとんど関心がなくなりました。私ってこういうことが多くて・・・なんというか気分の浮き沈みが激しい人間なんです。なんなんでしょうね。けしてマイケルがどうでもよくなったのではなく、このところ彼が書いた本を原文で読んだり、インタビューやエピソードを読んだりして、彼という人間をわかったとは言えないまでも、私なりに咀嚼できたので「気が済んだ」というところでしょうか。熱狂的ファンであることによる出費が二万円以下で済んで、めでたしめでたし。やっと冷静になれました。ちなみに、彼の本からは学ぶことがとても多かったです。次は私の好きなフレーズ。
"People ask me how I make music. I tell them I just step into it. It's like stepping into a river and joining the flow. Every moment in the river has its song. So, I stay in the moment and listen." (Dancing the Dream, Michael Jackson)
彼によると、創造とは勇気だそうです。彼にはもっと文章を書いて欲しかったですね。雑誌や新聞にエッセイの連載をすれば、もっと人々に理解されたんじゃないでしょうか。詩人としての才能もありますし。その声といい身体能力といい、天からこれほど多くのギフトをもらって、ほんとに神様に愛されていたとしか言いようがありません。こうした本やインタビューを読んでみてわかったことは、彼は世間知らずの子供っぽい宇宙人だったのではなく、むしろとことん考え抜いた末に選んだ自分の道、というかスタイルを、驚くほど頑固に徹底して貫き通していたらしいということです。だから外界との摩擦が大きかったのでは。弱くて傷つきやすい、というのが世間一般の評価ですが、実は恐ろしく強い人だという印象を持ちました。でも、さすがにちょっと無理があったんでしょうか。薬には頼らないで欲しかったですが・・・。ともあれ、類いまれなる人物でした。私はもう彼の歌やダンスというより、むしろそのプロフェッショナリズムに敬意を持つようになったので、映画館で観るよりも、DVDで制作過程を繰り返し観察して影響を受けよう、という気になりました。整形とか子供趣味とか浪費癖とか、そういうささいなことはもうどうでもいいです。
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ただいまプチ断食を励行中。これは一週間に一度、ほとんど食べない日をつくるというもの。朝、野菜ジュースを飲んで、あとはお茶以外ほとんど口にしないで夜まで過ごすのだ。とはいっても、全然食べないのはさすがにきついので、夜はヨーグルトかバナナを食べてしまう。お腹が空いていると眠れないので、寝るときはお茶を飲んで胃をふくらませてから大急ぎで寝る感じ。で、二回やったらウェストが二センチ減った(一回に一センチ?)。胃の具合を悪くしてから始めた習慣だけど、結構いいダイエットになっているみたいだ。この調子でアメリカに行く前の体重まで戻したいのう。
プチ断食とは関係ないけど、けっこう前から、ファミリーマートのパン売り場で売っている「ミックスナッツタルト」をよく朝食代わりに食べている。アーモンドとカシューナッツとクルミが結構たくさん乗っていて、それが濃厚なキャラメルの味とからみあい、満足感を呼ぶ。この前かぞえたら、アーモンドの実は十個以上入っていた。けっこうお値打ちでは? 見た目は小さいけれど、中身が充実しているので午前中のエネルギーはしっかりとれると思う。必要以上に胃を大きくしないためにもいいんじゃないかと思っている。安いし。でもカロリーは高いよね・・・。
ちなみに鳩山さんのアジア寄りの外交って、吉と出るんでしょうか凶と出るんでしょうか。十年ぐらい前に、『文明の衝突』(ハンチントン)っていう本がベストセラーになったのを思い出してしまう。あの頃はさすがにありえない感じがしたけど、なんだか少しずつ本に書いてある筋書き通りになっていくような気がして不安。確か最初に読んだときは、アジアの国々同士の軋轢みたいなものがわかってないような感じがしたけど、いまのEUなんかを見ているとありえなくもないような気がしてくる。ちなみに日本は非常に特殊な文明だとか書いてあって、それは私も後に海外の人々と付き合ってみて体感したけど、そうすると次第に日本だけ孤立していくわけ? いずれにしろ東アジアの協調には過去の負の遺産がついて回ることになる。でも日本は、戦後まともに過去と向き合ったことがないんじゃないですかね。パンドラの箱にならないといいけど・・・。
新潮社のホームページの中の雑誌「旅」のページで、いい壁紙がフリーで手に入った。アイルランドの400年の歴史があるというトリニティ・カレッジの図書館である。見たとたん何か深く心動かされるものがあって、さっそく保存して使用している。
うーん。どこか遠くへ、旅に出たいなあ。
今日はとりとめのないお話でした。ではまた。
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明けても暮れてもマイケルの声を聴いていたら、中毒症状(「もっと他のも聴きたい!」)が出てきました。これで彼のダンスを巨大スクリーンで観てしまったら、いよいよ狂いそうです。いまはさらにもう一枚CDを買うか、我慢して一旦ちょっと冷静になるか、迷っています。それにしても、中学生のとき初めて耳にした「今夜はドント・ストップ」の衝撃(「かっこいい!」)・・・幼いときの刷り込みっていうのは、恐ろしいもんですね。ところで全然話は変わりますが、国家戦略局ってなんか不気味です。なんであれ一元化というのは危険を伴います。いまはまだいいにしても、今度揺り戻しで自民党が政権をとったときはどうなるでしょうか。いちおう憲法で内閣総理大臣とその他の国務大臣は文民でなければならないってことにはなってますが、でも形は文民だけど心は・・・って方々もいるようですから。しかもアメリカのパワーが今後衰えていくことは目に見えていて、そうすると防衛力見直しの気運が高まっていくことは必至。このまま立法させていいのでしょうか。ただもちろんメリットもあるので、数年の期限付きならいいのかもしれませんね。ところで胃がどうやら持ち直したと思ったら、今度は首。物理的にも精神的にも頭が回らないです。どうしたんだ、いったい? う゛ー。
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なんだか最近、体調が変です。胃の具合がよくないです。ちょっと食べ過ぎるとすぐに痛くなるので、あんまり食べられません。寝酒が胃を荒らしたのかと思い、酒とコーヒーをできるだけ絶っていますが……。なぜか神経もぴりぴりしていて、落ち着いて物事に集中できません。いま私の月を直撃している天王星と土星の仕業なのでしょうか。時代の大きな変わり目が近づいているせいかもしれませんね。嵐に呑みこまれないように、どっしり構えていきます。ところで、いま「小説の技巧」(デイヴィッド・ロッジ)を読んでいますが、とても勉強になります。ちなみに、トム・ウェイツの声っておしゃれなんですね。知りませんでした。でもやっぱり、マイケル・ジャクソンのSpeechlessがきれい。クラクラします。この甘い声。次回はもっとまともな記事、書きます。
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親しい人が本当に会社を辞めると言い出し、別に私が何を言っても状況は変わらないのはわかっているけれど、妙に責任を感じてしまって、どんなことを言えばいいのかじっくり考えているうちに三日たってしまい、さすがにもう引き延ばせないぞと思って、断定的な表現を避けながら長いメールを書いていたら、夕べはそれで終わってしまった。それで今日はじっくり仕事をしようと思ったのだけれど、いまいち集中できず、夕方にはつい太宰治の『御伽草子』を読んでしまった。読んだら、こんな日本語が書けるようになりたい、とじたばたして悶絶しそうになった。ああ死にそう。なんだか悲しくなったので散歩に出て、公園を歩きながら景気づけにアバを聴いてみたところ、本当にけっこう景気づけられたのでびっくりした。というか、自分の単純さにびっくりした。おほほほ。
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新しいプリンターをネットで購入した。キャノンのMP540っていうやつ。ネットで大きな買い物をするのは初めてなので、ちょっと不安だったが、おお、やはり。思ったより巨大だった! でも使い心地はとても快適。コピーやスキャンまでできて一万二千円ちょっとというのはお得だ。考えてみれば、コピーするならこのぐらい面積ないととれないわけで。いや、ほんと世の中、便利になりましたな。それにしても、なぜか最近どんどんお金が飛んでいく気がするのは、どういうわけだろう。マイケル・ジャクソン関連だけで、気づいたらもう1万円以上出費しているし。この前、彼のダンスを見てからすぐ寝たら、ついに夢にまで登場した。晩年になってからの見た目で、クラシックのピアニストという設定だった。ところでずっと気になっていたのだが、マイケルのルーツは西アフリカのコートジボワールにあるらしいことがさっき判明。まさに奴隷貿易がもっとも盛んだった地域だ。彼は部族(Sanwi)まで特定して、そこを訪問したことがあるようだが、いったいどんな資料を根拠に探し当てたのだろう。親から子へ口で伝えられてきたのだろうか。彼の四代ぐらい前までは奴隷として生まれ、文盲だったはずだ。いや、シカゴ近郊なら北部だから、五代ぐらい前か。こんなことを、ジャクソン兄弟が子供の頃に父親からベルトで殴られていたという話を聞いたとき、つい連想してしまった。ちなみに実は、私がアイドルとかスターとかのファンになるのは、生まれて初めてのことだ。やっぱり強烈な磁力を持つ人なんだな。
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昨日だいたいのスケジュールを教えてもらったので、今後数ヶ月の人生が見えてきました。9月中旬まで少し余裕ができたのがうれしいです。もちろん、こういう時期に次を進めておかないと後がまた苦しくなるので、どうせ日々デスクからは離れられないのですが、それでもお買い物したりする時間ができたのが、泣くほどうれしいです。しばらくお休みしていた油絵も再開。先日は9ヶ月ぶりに美容院に行きました。ビヨンセ風の強烈パーマにしようと決意して行ったのに、勇気と大胆さが足りず、結局はいま流行のゆるゆる巻きに・・・。没個性。なぜか、いつもこうなってしまうんです! でもばっさりと肩下ぐらいの長さに切っておいてもらったので、あと一年弱は美容院に行かずにすみそう。ほっ。で、美容院で読んだ雑誌に載っていた安い口紅の品番を覚えておいて、帰りにすかさず購入し、ついでにヘアスタイリング剤も買ったりして、ひさびさに女の子ちっくなことをしました。たまにはいいもんです。
そんな買い物の帰り、駅前を歩いていたら社民党の党首・福島瑞穂さんが応援演説をしに来ていました。思ったより小柄な人で驚きましたが、声が大きくてわかりやすく、気づいたらつい拍手していました。やっぱり並みの女にはないエネルギーがあります。今回の選挙はいつにない面白さがありますね。私が注目しているのは東京1区、兵庫8区、長崎2区、静岡7区、神奈川11区、東京10区、愛知9区、茨城1区。結果が楽しみですね。残念ながら私の地元の選挙区はだいたい結果が見えているので、盛り上がりに欠けます。ところでアフガニスタンの選挙もかなり気になりますね。誰が当選するかという問題以前に、選挙妨害のために人を殺す輩がいるということに、本当に怒りを感じます。
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ずっと運動不足だったので、早足のウォーキングで少しずつリハビリ中。かなり体がなまっているのを実感します。それにしても暑いですね! いまメキシコを舞台にした小説を読んでいるので、なにげに雰囲気は合ってるんですけども。
ところで最近ツィッターが主流になりつつあります。でも私はあれ、どうも始める勇気がないです。あそこまで手軽だと、つい余計なことまで書いてしまいそう。お酒に酔った勢いだってあるだろうし、腹が立ってどうしようもないときだってあるだろうし、うっかり何を書いてしまうかわからない。でも書いたことは取り返しがつきませんよ。匿名ならまだしも、そうでないととても怖いメディアだと思うのですが、どうなんでしょう。発言を制限される国の人など、政治的に利用するメリットはよく理解できるけれど、単に個人的なつぶやき(夕飯で食べたイクラがうまかった、とか)のために使っている人たちって、よく気楽に利用できるな、と驚いています。こんなことで怖がっている私が臆病すぎるんでしょうか。それとも、失言のリスクを持ってしても余りある素晴らしいメリットがあるのでしょうか。いや、もっと怖いのはそれをフォローすることですよ。たとえば好きな人がツィッターしていたら、ついついずっとフォローしちゃいそうですよね。でも、そんなことしてたら、あっという間に人生終わっちゃいますよ。人は一日一日死に近づいているんですから! とはいえ、私はもともと壁をつくりやすい人間なので、むしろツィッターはその壁を壊すいい訓練になるのかもしれない、とも思ったりします。ちなみにぜんぜん話は変わりますが、髪の毛問題はビヨンセ系にすることに決定。短髪にすると私の嫌いな美容院にしょちゅう行かなければならなくなるため、ばっさりやるのはもう少し年をとってからにしました。そういえばビヨンセはいま東京に来ているんですね。先日の震度4に仰天したらしく、それこそツィッターに驚きの言葉を書いていたそうです。それにしてもマイケル・ジャクソンの「アイル・ビー・ゼア」(正確にはジャクソン5)はほんとに天使の歌声ですねえ。では、また。
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仕事が大詰めを迎えつつあります。でも暑い! はかどらない! パソコンから出る排気が暖房になっている。触ると冷んやりするパソコンなんか、売ってないんでしょうか。おまけに夜になると、なぜか私の部屋に猫が押しかけてきて、ますます暑い。さらに、ここ数ヶ月、仕事が遅いせいで身の回りにかまっていられず、気づいたら髪の毛が腰まで伸びており。。。暑い! まあ、これは結んでしまえばいいことなんですが。今後、この髪に強いパーマをかけてビヨンセにするか、びしっと短く切って上野由岐子にするか、悩むところです。思い切っておばまさんという手も。。。しばらくよく考えたいと思います。ところで私がマイケル・ジャクソンのCDを買ったと言ったら、笑われました。どうして? それとモースの「贈与論」購入。早く読みたいけど、いつになることやら。
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マクナマラといえば、ベトナム戦争。彼は退任後、確か90年代後半になってから回顧録という形ですべてを書いた。「マクナマラ回顧録」として日本でも発売され、私もすぐ買ったのを覚えている。それに彼は、当時の北ベトナム軍の将軍たちと会議を開いて、どうして泥沼の戦争を止めることができなかったのか話し合い、その模様をテレビで公開した(たぶん・・・いや確か)。それを知って感動し、ぜひその番組を日本でも放映してほしいと思った記憶があるのだが、放映されたのかどうかわからない。とにかく私は観ていない。どっちにしてもこれを機にもう一度ぜひ放送してほしい。それにしても、どうしてこんなにバタバタと大物が死んでいくのでしょうか。そういう時期ってあるのだな。大きな変化の流れをつくづく感じる昨今であります。
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ファンになってしまった。マイケル・ジャクソン。(英語版の)ユーチューブのおかげで、彼のステージ・パフォーマンスがとんでもなくすばらしいことを初めて知った。かたっぱしから観たぞ。すさまじい輝き方だ。それに気づいたときにはこの世にいないなんて・・・残念だなあ。アメリカのマスコミはいま彼のことで大騒ぎだけど、いちばん興味深かったのは、テレグラフに載っていたポール・セローのエッセイだ。ネバーランドを訪問したあと、長時間彼と電話で話をしたときのことを書いていた。その中で本の話もしていて、マイケルが好きなのは、サマセット・モーム、ホイットマン、ヘミングウェイ、トウェインだったそうだ。
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いつものように仕事の切り替えがうまくいかず、はかどらない。それで今日はひさびさに家でヨガをやって布団を干した。暑い。そうめんとスイカ。マイケル・ジャクソン。スリラー当時は特にファンではなかったけれど、いまビデオを見るとすごいオーラ出てますな。特にダンスが神。時代の大きな変わり目には、大物が姿を消すものなんだな。
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なんとか一山越えました。この二週間はえらくきつかったです。でも来月もう一つ大きな山が控えています。おまけに30年前の冷房しかない私の部屋に今年も夏が・・・。さすがにちょっとやせたかも。ひさびさに爪を切りました。
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消しゴムで消せる赤ペンは、ユニのシグノがいちばんいいな。三種類ぐらいしか使ったことないけど、これがいちばん使い勝手がよかった。普通の赤ペンよりインクが減るのが早いのだが、これは特殊なインクだからなのだろうか。今日は二本使い切った。真っ赤だ・・・。
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久しぶりの更新です。いまちょっと仕事的に嵐(多忙)が吹いていて、きついです。再来月に入ると少し落ち着くのですが・・・。しばらくはツイッターみたいな投稿になりそうです。また落ち着いたらちゃんと更新します。がんばります!
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仕事が一段落した。うれしい~(涙)。懐さびしい昨今ながら、今夜はちょっとワインを飲んでいる。とはいっても、これから二段落も三段落もあるわけなんだけど。
さて、ネタとしてはもう古いと思われるかもしれないが、忌野清志郎。ずっと仕事漬けで回顧する暇がなかなかなかった私としては、まだ終わっていない。ユーチューブの時代になっていちばんうれしいのは、気軽に昔の歌やステージを楽しめることだ。彼の声も歌も好きだったけれど、なんというか、雰囲気やセンスが好きだった。ただそこにいるだけでおしゃれというか。自分のスタイルに手抜きというものがなかった。スタイリストはつけていたのだろうか?
忌野清志郎という名前は、確か中学生のときに初めて雑誌で知った。その雑誌とは、昔懐かしいMCシスター(いまでもあるのか?)。これは女子高生向けファッション&ライフスタイル雑誌みたいな感じの月刊誌で、私は中学から高校まで愛読していた。オリーブ派もいたけれど、私はだんぜんMC派で、何しろモデルとスタイリストが好きだった。デビュー前の今井美樹やRIKACOがドゥ・ファミリーを着ていて、それはもう、かわいかったのだ。切り抜いてスクラップまでした(ヒマだった・・・)。私はすでにこの頃には、ロンドンやロスやNYではなく、パリまたは保守系のファッションで行くことが決まっていたような気がする。それでどうして清志郎と関係があるのかというと、なんと彼はその雑誌でコラムを連載していたのだ。他にも五、六人執筆陣がいたが、いま思うとMCシスターの人選のセンスにしみじみする。確か清志郎の隣は明石家さんまだった。もちろんさんまも初めて聞く名前で、売れるずっと前のことだったから、落語家かな、ぐらいにしか思っていなかった。それで、このさんまと清志郎のコラムが、ダントツに面白かったのだ。清志郎だから政治のテーマかというとそんなことはなく、なんということもない日常の話だったと思うが、文体がよかった。個性的なしゃべり口調で、さすがにリズムがよく、やはり「おしゃれ」だった。さんまも、特にくすくす笑える感じでもなかったのだが、なぜか魅力があった。よく覚えているのは、どっちもとても素直で、あけっぴろげで、だからわかりやすくて共感できたのだ。あのコラムのページ、とっておけばよかったなあああ!
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今日ようやく飛び入りの仕事が一段落したので、これからは本来の仕事に集中できます。でも私はいつも、仕事Aから仕事Bに移るときがうまくいかないのです。頭の切り替えがうまくいかないというか・・・。ずっと前の仕事を引きずって、その内容ばかり考えてしまい、新しい仕事に対する労働意欲が下がってしまうのです。で、そんなときは風呂にゆっくりつかります。これで気分がだいぶ変わります。顔を洗うだけでも違う気がします。昔からある禊(みそぎ)というのは水浴びのことだけれど、水を浴びるという行為は体を文字通り体を清潔にするだけでなく、精神的な浄化もするんでしょうね。一度、羊水に戻る、原点に回帰する感じ。水がきれいな島に生まれたことがありがたいです。
とにかく、今日はなかなか仕事に集中できなくて、いろいろネットで遊んでいたら、ウィキペディアの「プロレタリア独裁」っていう項目に、こういう部分がありました。
『プロレタリア独裁( - どくさい、Dictatorship of the proletariat)とは、マルクス主義において共産主義にいたる過渡期に必要であると言われた政治形態。「資本主義社会と共産主義社会とのあいだには、前者から後者への革命的転化の時期がある。この時期に照応してまた政治上の過渡期がある。 この時期の国家は、プロレタリアートの革命的独裁以外のなにものでもありえない」(カール・マルクス『ゴータ綱領批判』)。』
『マルクス主義の見解では、資本主義社会は、形式上は三権分立していても、ブルジョアジーが階級としてこの全権を握っているブルジョア独裁であるとみなす(ブルジョアジーのディクタトゥーラ)。これに対置してプロレタリアートのディクタトゥーラを提唱した。プロレタリアートの独裁は、社会の圧倒的多数を占めるプロレタリアートの、極めて少数であるブルジョアジーに対する独裁であるため、実態としては「ブルジョア独裁」に他ならない「ブルジョア民主主義」体制よりも、民主主義的であるとマルクスやその後継者たちは主張した。』
けっこう目からウロコでした。いまインターネットの世界で起きていること(プロレタリアート=ユーザー、つまりネット上の集合知)って、上で言ってることっぽくないですか? あ、こんなこと今頃気づいている私は馬鹿? じゃ馬鹿なりに考えてみるに、やっぱり資本主義って限界なんでしょうか? これからはプロレタリアートが主体になって資源を分配する共産主義みたいになっていくんですか(国家が上から分配する昔の共産主義とは違うシステム)? それにともなって世界はますます「フラット」になって貨幣経済は崩壊? いいかげんな妄想はふくらむばかりですが、もし本当にそうなるとすると、マルクスの洞察力ってやっぱりすごいんですねえ。うーん。でもそうなると、かつての共産主義国でもネックになっていた、労働意欲の問題はどうなるんでしょうか。プロレタリアートは、それほど自覚を持ち続けられるんでしょうか。食糧問題は・・・・・・うーん。頭痛くなってきた、プラス眠くなってきた、ので寝よ。
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最近は仕事ばかりしていて、近況といっても特に何もありませんが……とりあえず、ショックだったこと。もうストーブはいらないだろうと天袋にしまいこんだら、すごく寒くなったこと。それじゃ、いっちょ体を温めてこようとジョギング用のウェアを着て、はりきって玄関のドアを開けたら雨が降っていたこと。悔しいからそのままウェアを着たままでいたら、食事のときうっかり汚したこと。ああ皆さん、さようなら。いや、まだある。この前、仕事で使っているウェブメールが平日の昼間に突然使えなくなったこと。サーバーのほうの問題らしいけど、バックアップを全然とっていないから、どきっとさせられた。数時間で復活したとはいえ、もう信用しないぞ。でも、いまさらバックアップとるの大変そうだなあ。どうすりゃいいの。それと、『ER』がついに最終回を迎えること。前半をよく観ていただけにショック。でもよく続いたよなあ。ところで忙しくて観に行けず残念だったのが、『細菌列島』。こういうコメディ映画はもっと盛り上げてあげたい。そういえば最近映画を観ていない……。実はあれだけ観に行こうと決意を固めていた『レッド・クリフ』すら、結局見損ねているのであった。いちばん最近観た映画が『胡同のひまわり』だもんな。この映画は主人公の父親と母親役がうまくて泣けた。それに、青年時代の男の子役(高歌)がけっこう好みだったりして……。こうして見ると、アジア映画ばっかりだ。よく知らないが、最近のハリウッドには何か面白い映画はないのだろうか。
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またはりきってジョギングしたら、ちょっと腰に来た。ランニング・フォームがよくないのだろうか。いずれにしろ、もっといいジョギング・シューズが欲しい。それに、そろそろランニング・ウォッチも欲しいなあ……。ラップ記録できたり、心拍数測れたりするやつ。それでジョギング・ノートをつけて、タイムなんかの数字はもちろん、その日の気温とか天候とか、走りながら考えたことまで書いておくと、きっと励みになるよなあ。……うーん、いつか。
しかし「落ちてきたら打ち落とす」って……そんなの本当にできるの? できるとしたって、決断が間に合うの? 4月4日からとか言ってるのだって、なんでそんなに簡単に信じられる? といっても、どうすることもできないわけですが。ちなみに、グーグル・トレンドっていう、検索数の推移などが見られるサイトで、「North Korea」を検索してみた。すると、英語で北朝鮮という言葉をもっともよく検索している国は韓国で、その次に続くのがなぜかフィリピンやシンガポールで、中国は5位であり、スウェーデンが10位だったりすることがわかるわけなんだけど、それじゃ日本はというと、10位以内に入っていなかった。ちょっと目を疑った。日本人は危険な立場にあっても、英語など外国の言語では情報収集をしようとしない、つまり自国の役人やメディアの言うことを素直に信じる民族であることが、これだけでもほの見えてくるわけで、なんとなく……不安です。寒いからっていうのもあるけど、どうも今年は花見をする気分になれない。そういえばずっと前、落ちこんでいる私に「そういうときはシュレック2を見るといいよ」と本気ですすめてくれた友達がいたけど、あの映画そんなに笑えるのだろうか。
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あんまり根をつめて仕事していたら、へたばってきた。こういうときこそ、かえって極限まで体を酷使するといいんだけど・・・。昨日は東京マラソンの楽しげな様子をテレビで見ていたら、参加したくなってきた。完走率97%というのはすごい数字じゃなかろうか。だって出走者はただ抽選で決めているんであって、日頃から走っているかどうかチェックしてるわけじゃないんでしょ? でもニューヨークのマラソンはもっと完走率が高いそうだから、珍しいことではないらしい。誰でも、やればできる、ということなのか。
ジョギングは最近、私には珍しく続いている。暖冬だったので、冬の間も三、四日に一度は走った。これが十年続いたら、いままでの不摂生もかなり克服できるかも。いま心配なのは内臓だ。一応今年は胃ガン検診も受けておこうというわけで、ちょうどおとといバリウム飲んできたところ。X線撮影する大きな機械はなんだか遊園地のアトラクションのようでおもしろかったけど、バリウムと一緒に飲む発泡剤が胃の中でふくらむ感じ、あれ、なんとも気持ち悪かった。
ところで42キロ走って「人生観が変わった」って話をよく聞くけれど、本当なのだろうか。じゃあ24時間テレビで100キロ走破したエドはるみなんか、ものすごい精神状態になったのかっ。その精神状態でグーしていたというのかっ。そう言われると、試してみたくなってしまう。私は高校生のときに最長で10キロ走ったことがあるけれど、すっきりした気分になっただけで別に人生観は変わらなかった。いま試したらどうなるだろう。確かに運動することの効果は、年をとってからのほうが感じ取りやすいような気がする。若い頃は運動しなくても血の巡りがいいからあまり感じないけれど、年をとると心身ともに明らかな違いがわかるのだ。とにかく、いつかニューヨーク・シティ・マラソンに参加して、ハーレムを走り抜けてみたい!
油絵は、巻き貝をまだ描いているんだけれど、今回はなんとなくうまく描けそうな感じ。速乾メディウムの使い方をマスターできた気がする。前回の自画像で苦しんだぶん、多少は上達しているのだろうか? それにしても、すごいデフレ。町中が100円ショップみたいになってきて、お買い物が楽しいわけなんだけど、小売業の人たちは大変だろうなあ。デフレは止まらないような気配だし。昨日なんかブラジャーが390円というものすごい数字を目撃してしまったんだが、それなのに人々から無視されていたのが悲しかった・・・。下町のほうはもっと価格破壊が進んでいるんじゃないのかしらん。来月、江戸東京博物館(両国)に行くから、周辺を調査してみようか。おお、そういえば手塚治虫展の前売券を買っておかなくては。
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朝八時半ぐらいに目が覚め、布団から出てストーブをつけて布団にまた戻り、部屋が暖まるのを待っていたらいつのまにか寝てしまい、気がついたら十二時半になっていた。ショック!猫並みの睡眠力。アルコールも飲んでいなかったというに。思えば「寒い」ってことだけでこれまでどれだけ損をしてきたかわからない。
子供の頃には寒冷アレルギーになったことがある。寒冷アレルギーというのはあまり知られていないが、肌を冷やしすぎるとじんましんができるアレルギーだ。顔一面にブツブツができるから、休み時間がほんとつらかったっけ。でも、なぜか11歳の冬だけで、他の冬にはまったく出なかった。あれはどういうわけだったんだろう。いまだに不思議だ。アレルギーといえば、一度大人になってから曇りの朝にワイキキの海に入ったら、海に浸かった部分だけ一面にじんましんができたことがあるけど、それと関係があるのだろうか。とはいえ、午後になって晴れてから入ったら何ともなかったし、海に入ってそんな目にあったのは後にも先にもあれ一度きり。いまだに謎のままなんである。ハワイは相性が悪い、とそのときは勝手に判断を下してしまったんだが…。どっちの時期にも、特に強い肉体的・精神的ストレスがあったわけではなく、ハワイのほうにいたっては後に結婚する人と初めて旅行に行ったときだったわけで、そういう問題ではない(というより後の破局の序曲だったのか?)。話がそれたが、そういうわけで昔から寒い冬は苦手だ。この古い木造の家に引っ越してきてからは特にそう。やっと梅が咲いたと思ったのに、ここんとこ曇り空が多くて悲しい。あといくつ寝ると夏?
ジェイムズ・ジョイスの『ダブリン市民』を読み中。短編集なんだが、いきなり一作目から頭の中で「?」が炸裂。これ、後ろの解説読まないと、何言いたいのかわからない。ネタバレしてもいいから、読む前になんらかの解説を読んでおいたほうがいいようだ。
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ここんとこよく仕事してるな、と我ながら思う。なにしろ起きてから寝るまでやっている。ものすごく仕事が遅いので、こなせる量はたいしたことないんだけど。自分に課したノルマがプレッシャーになっているのか、頭の切り替えが下手なせいなのかわからないが、いまのところ仕事以外のことになかなか集中できないのが悩み。もうちょっとさっさと本読みたい。
それにしても、野党がまともに育たないと、与党がますます淀む。あの事件は残念だ。巷では景気もますます悪くなる気配で、希望的な要素が何も見えてこない。こういうときは……アスワド(ASWAD)を聴こう!えらく懐メロだけど。ベスト・アルバム、通しでこれまで何十回聴いたことか。昔はいいと思っても数年たってから聴くといまいちだったって曲はけっこうあるけど、アスワドはいつまでたっても好き。アスワド聴いて、ノリノリで未来を祈るとしよう。アスワドで景気回復♪ ちなみに、昔はたいしていいと思わなかったのに後でよさがわかる曲もある。「空が高すぎる」(小田和正)を聴いて、この前なにげに驚いた。
そんな中がんばってゼーバルトの『空襲と文学』を読んで、悲惨な空襲に見舞われたドイツの人々が、その負の歴史をなかなか作品として書き残そうとしてこなかったことがわかった。日本人と少し重なる部分があるようだ。書き残してそれを伝えるには読む人が必要であり、逆に誰も読もうとしなければ書く人は少なく後世に残りにくい、という、単純だが重い事実がそこにはある。哀しみの史実を後世に伝えるには、優れた芸術の力を借りる以外にないのだろうか。ところで、仕事とぜんぜん関係のないこういう本を読んでる暇あるのか、自分?
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確定申告終わった。二月中に行けば並ばずにすむ。税務署の建物に入って二分で終わった。それにしても経理関係の書類作成って、妙に楽しいなあ。最後にびしっとまとめてホルダーに入れるときの快感たら。。。会計士までいくと難しそうだけど、経理部のOLとかなら意外に向いていたのかしらん。。。かもな。電卓たたくのも好きだし、ホチキスのぱちっていうのも好きだし。それで思い出したけど、アメリカにいたときホチキスを買ったら、針が大きくてびっくりしたっけ。針の幅が日本の針の1.5倍ぐらいあるのだ(太さは同じ)。厚みのある書類を綴じるとき便利なので多めに針を買ってとってあるけど、やっぱり普段は小さめのほうが便利なんであって、こと文房具に関しては日本のほうがいいような気がした。ペン先が細い修正液なんてアメリカにはないし、三色ボールペンもない。この二つは外国人へのおみやげとして喜ばれるのでおすすめ。おお、そうだ。頭とお尻に太さの違うペン先がついた蛍光ペンやマジックもなかったな。日本の文房具って、芸が細かいからいろいろ見るだけでも楽しい。最近は消しゴムで消せる赤ペンができて、校正するときずいぶん助かってる。話は飛んだが、スケジュールをよく考えてみると、どうやら来年は収入ゼロで申告することになりそうな予感・・・。青色なら赤字分を翌年に繰り越せるので、再来年の税金が安くなるっていうのはいいんだけど、なんか哀しくないか? いやほんと、いくつになっても仕事が遅いなあ(ため息)。
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健康診断行ってきた。採血してくれる人が職人肌で異様にうまかった。いままでで最高かも。もしかしたら日本一。職人のオリンピックがあるように、こういう仕事のオリンピックもあればよいのに。自分の血、久しぶりに見たな。あたりまえだけど赤くて濃くて、おいしそうだった。血圧は上が120ぐらいで下が70ぐらい。血液サラサラというより、たぶん生まれつきの低血圧だ。だからいつもぼうっとしていて、何か言われても1分以上たたないと反応できない。高度なギャグの場合は翌日までわからないこともある。これは血圧が高くなったら治るのだろうか(治りません)。
育てていたヒヤシンスが立派に咲いたと思ったら、そのとたんに花穂をぐっと下にもたげてしまい、「生まれてすみません」状態に。茎が太くてしっかりしていて、水も光も温度もOKのはずなのに、おかしい。頭をひねる。花にも心の病気があるのだろうか。話しかけようとして、ふと我にかえった。やばい。暖冬のせいで自分にも早く春が来つつあるのか。そういえばもう梅が咲いたようだ。
さて、毎年心から楽しみにしている「サラリーマン川柳」が今年も発表に。不景気のせいか、全体的にあまり大笑いできるような作品はなかったものの、自分的にはこの作品が光っていた。「円下げて! ドル上げないで! 株上げて!」雨や太陽にふりまわされる農民のように、上がったの下がったのと日々数字にふりまわされている様子だろうか。それからこれ。「やってみろ!うまくいったら俺もやる」。なんかこれ「赤信号、みんなで渡れば怖くない」っていうビートたけしのギャグに通じるものがあるな。
ちなみに、投稿が100回目を迎えたので、一応「祝」と入れてみた。一人バンザイしてみる。\(^O^)/・・・・・・! あらら猫が見てた。
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おっとビッグな仕事(私にとっては)が舞いこんだかと思いきや、そこへ急ぎの仕事が別件で来て、前の仕事をいったんやめてあわててやっていたところ、風邪を引くとはなんたる失態、さらにそういや絵の教室もあるのであって、本来ならば欠席すればよいところ、授業料を無駄にすまじとむりに参上、とって返して仕事をやって、急ぎのほうを片づけたのはよかったが、もとの仕事が難しすぎて、風邪も治らぬこのご時世、ブログを更新できないでいる。・・・
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病み上がり。ここ数日、風邪を引いてダウンしていたので、力が入らない。なんだかぼうっとする。夕飯を食べたあと、すぐにうとうとして、眠ってしまう。すると胃もたれ。風邪のせいもあるのか、ここのところ胃の調子が悪い。ひょっとしてプレ更年期か。恵命我神散をのむ。この胃薬がいちばん体に合っているみたいだ。アメリカにいる友達から、日本に行くよ、のメール。あいよ、と返事。なにげにツヴァイクの『昨日の世界』を読んでいたら、第一次世界大戦前のウィーンがいまの東京の様子と似ていて、背筋が凍る。これからは一人ひとりが政府を、国を、世界を、監視し続けなくてはならない。自分の町のことだけを考えていればすむような時代は終わった。今年は自分へのクリスマスプレゼントはなし。でもせっかくだからちょっとワインを飲んで、それから早めに寝よう。このブログもあと3回ほど投稿すると祝100回、ときりがよくなるけれど、今年中は無理かな。
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いつものことだが、わからないことばかりで途方に暮れる毎日だ。巷では大勢の人たちがリストラされて、年末なのに住むところもなくなるかもしれないという。いままで会社に尽くしてくれた人たちに、どうしてこんな無体なことができるのだろう。企業の幹部たちは、どうして来年の給料をあきらめないのだろう。ところで、子供を抱えたまま夫に離縁された女性は一年に何人ぐらいいるのだろう。これはリストラとどう違うのだろう。夫と死別の場合も含めると、母子家庭は全国に100万世帯ぐらいあるらしく、母子家庭の平均年収は児童扶養手当をのぞくと160万円ぐらいだそうだが、これは非正規雇用で働く場合が多いからではないのだろうか。だとすると、この不況で仕事もリストラされたら、彼女たちはどうなるのだろう。そこへ、「08年から、継続5年以上の母子世帯は児童扶養手当が最大半分まで削減される」という情報を得たのだが、これをメディアがほとんどとりあげようとしないのはなぜなのだろう。わからないことばかりで、本当に途方に暮れてしまい、しまいには物を投げ&叫びたくなるのである。
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いやあ、うれしいなあ。
この前、新宿を歩いていたら、「あの・・・。」と呼び止められた。「はい。」「顔にとてもいい相が出ていますね。何か最近、いい変化がありませんでしたか。ご結婚とか。」「えっ???」声をかけてきたのは、小柄な女性。一瞬、絶句して、逆にいろいろ質問してしまった。すると、彼女は占いの仕事をしているが、人相はいま勉強しているところだという。それで私が、今年は特に大きな変化はなかった、と答えると、「じゃあ、ご結婚とかなさるならいまがいい、とご先祖さまがメッセージを出しているのかもしれない」と言う。へえ~。最初は勧誘かなと思ったが、何も売りこみはなかったし、こちらがしつこく聞いてやっと姓を名乗ったぐらいだったので、お金のためではないことは確か。だからある程度、当たっているかも・・・! こういういいことは信じることにする。元気をくれたことにお礼を言ったあと、彼女とはそのまま別れた。もちろん結婚する気はないけれど、いい運がついているんだったら、仕事のほうで何かラッキーなことがあるんじゃないか。なんだか期待してしまう。
思えば、私は過去にも、占いをやっている人に呼び止められたことがある。アメリカにいたとき、ものすごくつらくて、息をするのさえ苦しかった時期があったのだが、その時期に二回も呼び止められたのだ。二回とも若い女性で、相談に乗るから私のところに来てね、と連絡先をくれた。
そのうちの一人は、道を歩いているとき、向こうから友達数人としゃべりながら歩いてきて、私とすれ違う瞬間に話をやめてぱっと立ち止まり、「ちょっと、あなた。私のところへいらっしゃい」と、連絡先を書いた紙を渡してきた。それまで私のことは視界に入っていなかったはずなのに。なんで私が救いを求めていることが瞬時にわかったんだろう、すごい、と思った。人のオーラが見える人がいるそうだから、彼女はそういう人だったのかもしれない。彼女の顔に善意が感じられたので、本当に行こうかと思ったけど・・・時間と勇気がなくて、やめた。いまにしてみれば、行けばよかったとつくづく思う。行ったら、どんなアドバイスをしてくれたんだろう。もしかしたら、人生の航路が少し違っていたかもしれない。
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よく使うポータルサイトに、「読めないと恥ずかしいビジネス用語」というタイトルの記事がのっていた。いつもならこういう記事は見過ごしてしまうのだが、ちょうどその真上に「ギャー!電車内に幼虫200匹まく」というタイトルがのっていたため、ぱっと見たとき「ギャー! 読めないと恥ずかしい」に見え、つい、ぎゃー、とあわててクリックしてしまった。ちなみに「幼虫200匹まく」というのは、幼虫を大量に電車の中にまいて女性客がきゃあきゃあ言うのを見て楽しんでいた男が逮捕された、というニュース。で、「ビジネス用語」の中で難しかったのは「率先垂範」と「稟議書」。読めることは読めるけど、意味わからなかった。社会人はじめてからずいぶんたつけどなあ。そこには親切に意味も紹介されていたんだけど、なるほど率先垂範なんてまったく縁のない世界だから、知らなくても無理ないのかも? でも、稟議書を知らないのは恥ずかしいんじゃ・・・。昔よく上司の書類受けに置いておいた文書、あれは稟議書と呼ばれるものだったのか。ふとその上司の顔が浮かんでしまう。きっと私が知らないと聞いたら、「知らない!? ほんとにそれで大学出てんの? 出るだけ無駄だったんじゃないの。ねえ新聞って読んだことある? 見たことぐらいはある? あっそう、あるんだ、よかったー。あ、よそで言わないでよ。こんな無知がいると思われたら恥ずかしいから」みたいなセリフを5秒で全部まくしたてていただろう。ぎゃー。いまとなっては懐かしくもあるが。思い出したら、なんか疲れた。
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美容院に15ヶ月ぶりに行って、前髪を切り、パーマをかけた。で、疲労困憊して帰ってきた。時間かかりすぎ。カットまではよかったんだけど、パーマはアシスタントみたいな人におまかせ状態になった。そしてカーラーを全部はずした後で担当者がチェックしに来たら、ちゃんとできていないからやり直し、だって。結局、最初から巻き直し。カラーリングはなしだったのに、トータルで4時間もかかった。途中で仕事帰りのOLさん達が続々やってきて、店内がにぎやかになっていくのはおもしろかったんだけど、気をつかってほとほと疲れた。なんで客の自分が気をつかわなきゃいけないの、とは思うんだけど、ああいうところでは、いつもなんとなく肩身が狭くて、文字通り肩がこる。もう髪の毛つやつやの若い女の子じゃないからだ。それに、若い美容師さんと共通の話題を探すのも難しかったり。お店を出たときは真っ暗。月が出ていた。年をとることは恥ずかしいことじゃないんだから、私はおしゃれにしてくれる若い子向けの美容院にいつも堂々と出かけて行く。だけど、やっぱりどこかで気後れしてるんだな。でも、仕上がりにはけっこう満足。派手でもなく地味でもなくミーハーでもなく流行遅れでもなく子供っぽくもなく・・・なかなか絶妙じゃないでしょうか。カットの腕は確かかも。で、勢いでおしゃれをしたくなって、ダイエットを再開することにした。私にとっては定番の、夕食抜きダイエットだ。不思議と、髪型を変えたり新しい服を買ったりすると、おしゃれしよう、きれいになろう、という気になるな。それで脳も、活発になるような気がする。今日はなぜかミスチルのGIFTが頭をぐるぐる回っていたなー。こんなことで無駄に活発になってもしかたないんだが・・・。
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予告通り、中国の作家、残雪を読んだ感想。この作家は豊かなイメージを喚起させる力がある。読んでいると、子供の頃に見た夢をもう一度見ているような気がして、不思議な懐かしさがこみあげてくる。すばらしい・・・。でも正直、彼女の作品・・・もう読まなくても・・・いいかも・・・(笑)。いや、これはただの弱音。こんな難解なものを読む時間があるのは幸せな証拠だから、そういう意味では贅沢なときを過ごせたわけで、感謝。謝謝。
今日はソフトボール女子の日本リーグ決勝戦だ。ルネサスは当然、上野由岐子の登板だな。関西の人、いいなあ。美しいものが見られて。午前中は山田恵里も登場するはずだしなあ。それにしても、日本リーグの試合が一度も東京で開催されないのはなぜ・・・。球場がないのだろうか。とにかく来年、一度は行きたいな。
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ついに天地がひっくりかえる事態が起きてしまった。アメリカの大統領が有色人種に! ほとんどミラクル。おばま氏が勝利宣言したとき、テレビカメラが年配の黒人男性の涙をうつしていたけど、あの涙がはかりしれないほど多くのことを語っているような気が・・・。集会には二十万人も集まったと聞いて、ちょっと興奮した。このところ、時代の流れが大きく方向を変えつつあるのを感じる。
そんな中、私は用を足しに渋谷まで出かけていって、目的地が定休日なのを知って肩を落とす、なんてことをやっている。でも打たれ強い人間になるため、タワーレコードの洋書コーナーに寄ってしつこく物色し、むりやり一冊購入。ドトールで抹茶ラテを飲みながらちょっと読んでみたところ、出だしがけっこういい。ひょっとして当たりかも。ふっふ。ところで、おばまブームの勢いに乗って黒人文学も見直されてほしい、というのは虫のよすぎる期待か。
ちなみに、今年の自分への(ああ・・・)クリスマスプレゼントを何にするか迷っている。いまのところ有力なのは、コウノエベルト。それか、左手用マウス。去年はロバート・ジョンソンのCDだったっけ。今年も聴こう。そういえば『俺と悪魔のブルーズ』第5巻はいったいいつ出るんだろう。
それから姪っ子へのプレゼントに、思い切ってお着物一式を連名で贈らないか、と提案したところ、なんとジジババが抵抗! ついこの前、遠くから遊びにきたとき、「じいじ」「ばあば」と呼ばせて鼻の下を伸ばしていたのに・・・。理由は「高い」。安いのもあるが安いのはやはり安っぽい着物であり、そんなものは着せたくない、という理屈とも言えないような理屈だった。やはり今年も絵本でごまかすのか。いいのか、それで。
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このところ頭痛が続いていて、たまらない。気がつくと、歯をぐっとくいしばっている。目が覚めて鏡を見ると、眉間にしわができている。急いでどこか遠くに行ったほうがいいみたいだ。でも昨日はすばらしい作家を発見したので、一人で乾杯した。残雪。すごい。こんな作家がいたのか。感想文は後日。
ところで、我らがQちゃんが・・・会見を見ていたら、思わずもらい泣きしそうになった。あれほど強靱な精神力のある人が「限界」というのだから、本当につらかったんだね・・・どうかゆっくり休んでください・・・。シドニーオリンピックの出走前に「たんぽぽの綿毛のようにふわふわと42キロの旅に出る朝」っていう句を詠んだQちゃん。増田明美さんのすばらしい解説のおかげでそれを耳にして、1キロ付近ですでに感動。勝利を確信したものだ。ほんと、輝いてたなあ。
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ソフトボールの上野選手を取材した本が今月末に発売になると知って、ホーそれは買おうかな、と思った。私は女子校出身ではないので、男前な女子の世界を知らない。うら若き高校生の頃、女子校の文化祭をのぞきに行って、ちらっと垣間見たことがあるぐらいだ。そのとき、よく後輩にラブレターをもらうという女子を友達にこっそり教えてもらった。でも男前女子の世界を何も知らない私は、彼女たちはきっと社会に出たら男前でなくなってしまうのだろうなあ、とぼんやり思うだけだった。なので、上野選手がテレビ画面に大きくうつったときは、おお、と思った。男前でなくならない人もいるのか。おお、おお、と妙に感動して、じっと見入ってしまった。そんなわけで単純に好奇心から、彼女のインタービューを聞いたり読んだり、特集番組を観たりしてみた。すると、人間的に私にはないものをお持ちだとわかり、素直に尊敬。すっかりファンに。そして10月30日に発売になる本が待ち遠しいのお、と思っていた矢先、トニ・モリスンの新作がもうすぐ発表されることが判明してぶっとんだ。うおおお。速攻で予約入れようとアマゾンをチェックしたら、発売日が10月30日になっている。すごい偶然じゃん。思わず一人で祭り状態。はい御輿が通りますよー。きっと来月はいい月だー。
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家族にうつされたせいで、ちょっと風邪ぎみだ。そこで気が早いことに、もう鍋料理を食べた。たらちり・・・の、たらこ付き。鍋は体が温まるだけでなく、蒸気を出すので喉にいいから、風邪にきく。ところで鍋をやると、参加者の性格が出る。仕切ろうとするか、どんな順番で具を入れるか、具やつゆにこだわりがどのくらいあるか、しゃべり優先か食べるのが優先か、さっさと好きなものをとってしまうか・・・・観察していると、実に生々しい人間性が出てくるのがわかる。私は、仕切るのが好きそうな相手には全部まかせてしまう。他の人に多く食べさせることを生き甲斐にしている人と一緒の場合は、腹が苦しくても無理に食べる。また、食べ物にこだわりはあまりないこともあって、できるだけ人気がないもの、あまったものを食べる。野球チームに入っても、絶対ピッチャーにはならないタイプ。確かに子供のときから、いつも黒子か脇役の立場で生きてきた。気づけば仕事も、そういう職についていた。主役になったことは一度しかない(結婚式)。子供の頃は常に男の兄弟が主役だったし、学校でも何かで注目されたことはないし。だから、骨の髄まで脇役が染みついているんだろう。ちなみに、基本的には鍋はあまり好きじゃなくて(煮たネギが嫌い)、お好み焼きのほうが好き。でも、そうだと主張したことはない。不満にも思わないし、それでかまわない。ただ四年ぐらいに一度、ふとさびしい風が吹くときがある。もうすぐひと仕事終わる。一人で旅をしたいなあ。
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北京オリンピックをきっかけに、最近アスリートのメンタルトレーニングに関心がわいている。たとえばソフトボール日本代表は西田文郎氏や福島正伸氏らの指導を受けていたらしい。メントレといえば、勝った自分をイメージする、みたいなことかと思っていたが、実は意外と、支えてくれた人に感謝する、など基本的な内容だったりするようだ。ところでオリンピックといえば、レスリングの吉田沙保里選手。決勝で対戦相手が中国代表だったため、会場じゅうに「加油!」の声が響き渡っていた。私もリアルタイムで観ていたが、あまりの声援の大きさと迫力に、ブラウン管を通していても身の縮むような感じがした。ところが吉田選手はそのど真ん中でプレッシャーをはねのけ、見事に勝利。終わってからのインタビューで、彼女は中国人の応援を「日本語のがんばれに聞こえた。本当に聞こえた」と、さらりと言ってのけた。これは冗談や強がりではなく、あくまでも本当だったらしいことが表情から見てとれたので、思わず息をのんだ。すごい信念と集中力である。こういうスピリットが自分にもあれば・・・とため息。吉田選手はメントレを受けているのだろうか。知りたい。
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世界的な金融恐慌だ。企業破綻が連鎖反応を起こし、どんどん事態が大きくなっている。巷で人々の不安が高まっているようで、やや危険なものを感じ、身が引き締まる思い。今後メディアは慎重な報道をしてほしい。真珠湾攻撃の直後、米国では国民の半数以上が、実際の報道よりひどい被害を想像していた、という調査結果を聞いたことがある。また、日本がすぐにも本土に上陸するのではないか、と多くの人が考えたのだという。人は不安を感じると、必要以上に悪い内容を思い描いてしまう傾向がある。だから、普段なら信じないような根拠のないデマにも、容易に流されてしまう。歴史をふりかえれば、過去には貧しさによる人々の怒りの矛先が、特定の人種や国にぶつけられたこともあった。パニックやデマを防ぐために、自分にできることは何なのか、いまから考えておかなくてはならないと思う。信頼と希望という言葉しか、いまは見つからないが・・・。
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一気に、秋。先週のうちに衣替えをすませておけばよかったー!
久々に大学に出かけたところ、外国人留学生がやけに増えたような気がした。英語があちこちで聞こえてきて、思わず耳をそばだてたんだけど、しばらく聞いていないのですぐには感覚が戻らない。こういうときに話しかければいいんだろうけど・・・洋画の字幕なし鑑賞を再び始めようか。来月にはアメリカ人の接待(?)があるのに、不安になってきた。
ところで、最近読んだ中勘助「島守」の言葉のセンスに仰天。しみじみおそれいった。季節がいまと合っているせいか、雨が土にしみこむように情景が頭に入ってくる。読む時期は大事だ。ずっと積ん読状態だった本も季節が変わると一気に読めてしまったりして。たまっている本を早くかたづけたい・・・!
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久しぶりなので、とりあえず近況を。先月から妙な癖がついて、寝る前にワインをボトル半分ほどがーっと飲まないと眠れない。アメリカにいた頃、将来が不安でよくそうしていたんだけど、日本に戻ってからは状況がよくなっていた。それが先月、精神的に妙なショック症状に見舞われ、軽いウツ状態に突入。いまのところ肝臓は大丈夫だが・・・顔がむくんできたのがかなしい。また走るなりヨガなり、運動を始めなきゃいけないと思う。さて今日はひさびさに油絵。自画像、次回でなんとか完成しそうだ。実際には、腕が未熟なのでかなりひどい顔に仕上がりそうなんだが、先生がやさしく励ましてくれるので救われている。人の顔を描くのがこれほど難しいとは思わなかった・・・。というわけで、約三ヶ月ぶりにブログ復活。二ヶ月前に鳥肌が立つような居丈高なコメントがついて、それ以来見るのも嫌になっていたんだが、そんなものに振り回されているわけにもいかないので。
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今日は川沿いを走った。公園の若葉が風にくすぐられて笑っていた。生きててよかった。走りながら、なぜか昔なつかしいプリンセスプリンセスの「M」が頭の中でぐるぐる鳴って止まらなかった。彼女たちが活躍した頃は私も青春。普通は若い頃はやった曲を聴くと青春を懐かしんで涙ぐんだりするんだけれど、私の場合は当時いまひとつ周囲になじめなかったうえに恋愛もうまくいかず、勉強もできず、やりたいこともよくわからず、内気で前へ出られず、自分の存在を消してしまいたいといつも思い、とにかく暗かったので、懐かしくて涙ぐむというよりは、あーつらかったと涙ぐむ感じ。いまから思うと暗かったこと自体がバカみたいなんだけど、本当にバカだったんだから仕方ない。どうして二十歳頃っていうのはあんなにバカなんだ? とにかく閉塞感にさいなまれていて、そんな暗いときだったからこそ奥居香の輝きぶりがまぶしかったなあ。解散後十数年たったいま、ベスト盤が出るそうな。買おうかな。
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集中できない。完全にリラックスした状態で目の前の仕事に全力投球する、という、自ら発見した人生の「構えの姿勢」が最近とれなくなっている。しばらくはそういう時期もあるかもしれんと思って気楽に考えていたけど、どんどん仕事が遅れるわ調子は戻らないわで、そうも言ってられなくなってきた。カツを入れて自分の気持ちを盛り上げたり、逆に効率的に息抜きしたりっていう能力も、経験を積んで鍛えていかなきゃいけないんだな。そういう環境づくりも自己責任てことがわかってきた。プロの道は険しい。
そんな自分の状態を占星術で読んでみると、MCに海王星がのっていて、それが6ハウスの星にスクエアのアスペクトをとっていることが判明。それから土星も刺激を受けている。要するに星は目標を軌道修正するよう求めていて、その目標が海王星のせいで私の頭の中で大げさな話になっているんだけど、でもそれにつられて本当に軌道修正しようとすると、目の前にある仕事が邪魔になるという構図だ。しかも運命を無視してひたすら目の前の仕事に邁進すると、健康を害するおそれがあるという、なんともやっかいな状況。そういえば酒量が増えているよな、最近。でもこの海王星、あと1年は同じところに居座るんですけど……。とにかく、まず目標を見つめ直さなくては。そしていまのところは、目の前の仕事はその目標を達成するために避けて通れない必要なステップなんだってことを、木星(アメ)とベスタ(ムチ)を使って自分に納得させ、仕事をいただいたことに感謝し、酒の量は意識して減らそう。よし、やっぱり書くと結論が出やすいな。ふっふっ。
ところで、この前お昼ごはんを食べながらワイドショーを見ていたら、ちょうど枕がテーマになっていた。枕を変えれば肩こりが治るそうな。それでその晩、紹介されている通りにやってみたら、肩こりが劇的に改善。うれしい。しかも眠りが深くなったような気がする。これって長い目で見れば大きな差になると思う。コツは、枕の高さを5cm前後にすること。人によって微妙に違うのだけど、要は首の骨に負担をかけないような高さにするということだ。座布団をそのまましいて、バスタオルを上にのせて調節すれば、だいたい5cm前後になるという。これまで私は普通の枕を使っていたつもりだったんだけど、ちゃんと定規で計ってみたら10cm近くあった。これじゃ肩もこるわけだ。
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ヨドバシでクーポンもらったから、そのぶんで新しいマウスを購入することにした。さっそくマウスの売り場に行くと、もうワイヤレスの商品が主流になってた。でもね、そうでなくても無線LANなのに、これ以上わけのわからない電波が周りを飛びかうのは嫌だな、と思って、あえて有線をチョイス。そのほうが安いし。ただし安さだけを追求するなら、もちろん千円台の激安マウスもあったけど、そういうのはもう持ってるし、ロジクールかマイクロソフトがいいっていう噂を聞いていたから、四千円ぐらいの大きめのマイクロソフトにした。左右非対称になっていて、使ってみると握りやすくて疲れにくい(ただしデザインは無骨)。それにしてもマウスってこんなに進化してたんですねー。ボタンがいくつもついているプレゼンテーション専用マウスとか、世界最小マウスとか。これなんかタッチパッドを使うのがどうしても好きになれない人(私)なんかは、外出用に絶対ほしくなるだろうと思う。この日はついでにハンドレストも買って、マウス周りがいきなり充実。パソコンもお気に入りだし、これで素敵なマウスパッドでも見つかればのう。
こんな感じで、ヨドバシにいるとなかなか飽きない。実はオタク気質だったのかも? きっといまの秋葉原に行ったら、一日じゅういても何日いても飽きないんだろうな。もう十年ぐらい行ってないけど、せっかくだから今度見学に行こう……。
さて絵のほうですが、いま自画像に挑戦中。何も知らずに始めたのはいいけど、人物を描くのがこんなに難しいとは知らなかった! 線が一ミリ狂うだけで別の人の顔になってしまう……。先生が、まずはデッサンで先に練習して、それから油絵にしたほうがいいって言うのでその通りにしたんだけど、なるほどと納得した。石膏のヴィーナスの顔はデッサンしたことがあったけど、じっさいの人間の顔はぜんぜん違う。ずっと繊細で微妙で……不完全(!)。ゆえに難しい。さて、どうなることやら。デッサンですらこれだけ時間がかかっているんだから、油絵に移ったら今年中に終わるかどうかも危ぶまれる。道のりは遠いなあああ。ところでオゾン層破壊のせいで今年もこれまで以上に紫外線の量が多いそうです。サングラスも買います(脈絡なし)。
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前の記事で不吉なことを書いたら、そのとたんに大きな地震のニュースが入ってショック。星は少しずつ怖い配置に近づきつつあって、その影響がもう出始めているのかな。この配置は向こう4、5年続くみたいなんだけど・・・。ネットで関連情報を検索してみると、アセンションという言葉が飛び込んできた。地球がもう一つ上の次元に上昇する時期が来ているということらしい。マヤ暦が2012年で終わっていることと関係があるのかな。ホピ族の終末の預言もあるし、なんか怖い・・・。いまつくってる宇宙ステーションがノアの箱船になったりして? でもあんまり縁起の悪いほうに考えないようにしよ。宇宙の意志に個人の手は届かないないんだから、人類もきっと上の次元に上がるんだべって感じで、楽観するしかない。みなさん、地球を大切にしましょう~争いはやめましょう~WinWin(ウィンウィン)の精神で知恵を出し合い、みんなでステージを上げましょう~♪
新しくパソコンを買ったのを機に、我が家に光ファイバーを導入した。でもネットサーフィンしてみた感じでは、ADSLのときと速度があんまり変わらないように感じた。光の速さをイメージしていたので拍子抜け。無線LANにしているからかな。ところで、新しいパソコンがえらく素敵でうれしい。店に行く前にあらかじめネットで調べて買う機種を決めていたのに、このパソコンを見たとたんほとんど一目惚れで即決。キーボードとの相性もいいし、実際使ってみた感じもマル。運命の出会いかも♪ これでバリバリ仕事するぞ~。
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やっと取り返せたー♪ パソコンが壊れたせいで消えたぶんの遅れを、全部取り返せた。おまけに本のレジュメも完成させてしまった。ふっふ。えらいぞ、自分! 壊れてからしばらくはなかなかあきらめきれず、復元ソフトを買ってくる悪あがきをしてかえって時間を食ったけど、腹を据えて始めてみたら、おかげさまでなんとかなった。でもね、もともと遅れていたこともあって、自分で決めたスケジュールより三週間遅れてる。だから、ここで気をゆるめるわけにはいかない。
さて矛盾したことを言うようだけど、最近、気分転換に星を読んでいる。パソコンが壊れたのは、どうやら私の天王星がトランジットの星に刺激されているかららしい。私の場合、天王星と月がくっついているもんだから、最近は気分もやたら落ち着かなくて困る。
ところで来年の夏あたり、星が怖い配置になる。9月11日のニューヨークのテロのときより怖い配置。根本的な変化を強いるような何かが起きるはずなんだけど、それが災害なのか飢饉なのか病気なのか戦争なのかはわからない。何でも可能性がありそうな気がしてオソロシイ。ひょっとして大きな地震とか? いやその前に自分の身に何か起こるかも。テロの頃は、私の持っている太陽とTスクエアを形成したために私自身も危機に陥ったわけだけど、来年の夏はそれ以上にハードな星の配置になるところへ、私が持っている土星、天王星、冥王星も加わってグランドクロスを形成する。運命の十字架みたいな感じ。あの頃の試練以上に怖い配置だなんて、ちょっと命にかかわりそうでオソロシイ・・・人生最大の危機かも!? いまはそれに向けて体力をつけておかねば。他には何をすればいいんだろう。飛行機には絶対に乗りません絶対に。そんでひたすら世のため人のため自分のためにお祈りしまっす。でもこれはあくまでも星のお告げだから、前もってわかっていれば被害を最小限に食い止めたり、回避したりできるはず。そう信じよう。
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ショーック! パソコンがダウンした。画面まっくろ、目の前まっくろ・・・。ついに壊れたか、でもね、外付けHDに大事なデータは保存しているから大丈夫、と気を落ち着かせて、何はともあれパソコンのサポートセンターに電話した。するとOSを再インストールする必要があって、その場合データが全部消えてしまう、と言われた。相手が明らかに中国なまりで、それも(私にとっては)すごく複雑なことを言うのでかなりとまどってしまい、さらに外付けHDのこともあって素直にOKしてしまった。そして後で気づいたのだった・・・いまやっている仕事のぶんだけが、なぜか外付けHDにちゃんと保存されていなかったことを。うおー!なんでー!? いままで同じやり方でやって、ちゃんと保存されていたのに、どうして今回だけこうなるのよ神さまっ? 二週間分の苦労が水の泡になっちゃったじゃーん! 外付けHDなんか使わずに、シンプルにフロッピーディスクに保存してればよかった・・・。じゃあ、と昔使っていたパソコンを出してきて代用していたら、今度は途中でいきなり電源が切れてしまった。しかも一時間おきぐらいに何度も。・・・いったいどうなってるのー!? 仕方なしにメインのパソコンを元通りにして使おうとがんばってみたけど、どういうわけか無線LANがつながらない。説明書読んだり、いろいろ試したのにだめで、これでまた一日ムダにするはめになっちゃったー。もうっ! そんなわけで、今日は怒りの勢いにまかせヨドバシに飛び込み、速攻で新しいパソコンを買ったさ。もちろん違う会社のさっ。ふん。
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なかなか朝型にならないもんだから、いまひとつ効率が上がらない。そんなとき、ひざの裏を日光にさらすと体内時計がリセットされるという説を思い出し、さっそく実践してみようと、窓をあけてズボンをおろした。すると、おおっとケツさらしてどうするっ!てなことにはならなかったが、なんだか恥ずかしい気分&すがすがしい気分に(?)。風通しがいいって、いい~。
最近、書店に行くと「知的生産術」とか「効率アップ」とか「脳の活性」とか、情報処理の方法をあらわした本が売れているようである。なんでも昔の若者は、たくさん本を読んでいるほど周囲の尊敬を浴びたらしいが、いまはツール選びも含めた情報処理の方法にどれだけ精通しているかがポイントになっているような気がする(私の頃もすでに本ではなかった。商売をするなど、大人の世界につながりを持つ人が尊敬されていた)。たとえば、ヘミングウェイを読んだことがない人よりも、検索機能の使い方を知らない人のほうが馬鹿にされやすい感じ。でも、どっちが豊かな人間性を育むかを考えたとき、いまはあんまり周囲の情報や流行にふりまわされない、どっちかというと「どんくさい」(死語?)人のほうが、結局は生き残るような気がしないでもない。問題なのは、知的生活術でも英会話でも、そうした道具を使って「何をするか」は真剣に議論されることがなく、道具や時間ばかりを必死にかき集めているふしがあることだ。形より中味のほうが先だろう。行動していれば、道具はあとからついてくるもので、しかもそのほうがいい道具を効率よく手にすることができるのだ。あまりにテクノロジーや社会の変化が激しいために、みんな取り残されやしないかと恐怖心を抱いているのではないか。
どうしてこんなことをわざわざ書いたかというと、ちかごろ気がつくとついその手のビジネス本に手を出してしまうからだ。要するに自分に言い聞かせているという・・・また自己批判してしまった・・・。ちなみに私の父は携帯なし、パソコンなし、メールアドレスなしなんだが、それでも趣味の指導に同窓会の幹事にと忙しそうに活躍し、ぜんぜん困っていない様子。あ、そういえば、やっとおととしファックスを買ってあげた。
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仕事、本格始動。なかなかエンジンがかからないが、あまり焦りはない。いざというときの集中力はけっこうある。とりあえず、早く朝型にしようとしているところ。
久しぶりに兄が上京して泊まっていった。大学のテニュアをとったそうで、めでたいめでたい。専門の本もできたそうだし、その他、学会、講演などで忙しいらしく、うれしい悲鳴。それはいいのだが、問題は奥さんが忙しい部署に異動になって、家の中が大変な状況らしいということだ。娘はまだ保育園のかわいい盛りなのに。兄は夜になったら自宅におやすみ電話をかけ、電話に出た娘がパジャマを着たかどうか確認のうえ、うちの猫の鳴き声を聞かせてやっていた。そういうときは方言になるのがおかしい。
田舎にいるアメリカ人の友達が、早く東京に住みたい、と就職活動を始めた。英語を教えるらしい。これまで公私にわたり、いろいろ大変なことがあったみたいで、それでも若いのによく耐えたと思うし、さらにアメリカに帰らずにもっと日本でがんばりたいっていうのもえらいと思う。そこでさっそく、えらいと思う、と英語でメールしたら、今日はストレス解消にエステに行った、という返事。だいぶ日本語ができるようになったらしい。びっくり。
みんな、がんばれ、みんな、がんばれ。・・・って歌、昔あったような気がする。たしかヨウスイの「東へ西へ」だったかな。
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花冷え。昨日、寒い夜桜見物をしてきた。冷たい風が吹く中でのサバイバル花見だった。ああいうとき大活躍するのが、ふだんアウトドアを趣味にしている人。カンテラをともしながら、ガスコンロの火であたたまりながら鍋で湯をわかしているのがうらやましかった。もっとツワモノになると、折りたたみの椅子とテーブルにひざ掛けまで準備し、ワイングラスで乾杯という命のかけようで、道行く人もふりかえっていた。きっと仲間たちにも一目置かれたにちがいない。そういうセンスがゼロの私たち一行は、暗くて桜もよく見えないところで、ふるえながら冷えたビールで弁当をかっこむというありさま。帰る頃には、何しに来たんだっけ状態になっていた。結論、花見は昼がよろし。昼から酒を楽しむことこそ花見の醍醐味。白酒など注ぎ、桜の花びら浮かべればことのほかよろし。花見は桜を愛でるだけじゃなくて、春の喜びをことほぐことも忘れちゃいけないのであって、まずはあたたかな陽光に杯を捧げ、しかるのちに花の美に杯を捧げ、神に感謝するのが筋というものだ。昼ならウグイスの声もBGMになるかもしれないし。でもきっと来年にはすっかり忘れて、また夜な夜な冷えたビールを買うんだろうな。ああ人間てやつは~♪
今日『あなたもいままでの10倍速く本が読める』っていう本を読んでみた。もともと速読術というものを信じていないので、そういう類はこれまで読んだことがなかったのだが、だまされたと思って読んでみたら得をした。これは普通の速読術ではなくて、フォトリーディングというやり方である。フォトリーディングというのは、文字を追うのではなく書面全体を眺めながら1ページ1秒の速さでページをつぎつぎにめくっていく方法。もちろんプロセスはこれだけではなくて、事前に全体を把握するプレビューや、あとでアクティベーション(スーパーリーディング)と高速リーディングをおこなう段階があるのだが、要するに、画期的なのは左脳とともに右脳も使って情報処理しようという試みだということだ。私たちはふだん読書をするとき左脳だけを使っているが、いっしょに右脳も使えば、情報処理能力は飛躍的に上がるはずだ、というのは説得力がある。よくサブリミナル効果というのを聞くけれど、それに似ていて、右脳を使うと記憶というより潜在意識や深層心理に残りやすいかもしれない。で、さっそく軽く読める色彩学の文庫本でこの方法を試してみた。すると、ふだんの三分の一ぐらいの時間で読めてしまった。まだ慣れていないにしては、まあまあではないだろうか。訓練すればもっと速くなりそうだ。ちゃんと読めているのかどうか不安ではあるが、印象に残ったところだけに関しては普段の読書よりも記憶が鮮明な感じがする。アメリカでは一流企業の社員がこれを研修に取り入れているらしいが、確かにこの技術を使って膨大な書類を処理すれば残業が減りそう。でも小説ではどうなのか。つまり、この方法ではたして「感動」できるのか。高速リーディングしながら涙が流せたら本物だ。わくわくしてきた。後日、結果を報告します。
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もんもんもん、ももんがもんもんもん・・・としているうちに桜が咲いていた。いつのまに準備してたんだ君たちっ? と思うほどたくさんのつぼみを完璧に咲かせて、おみごとなもんである。近所のウグイスもすっかり歌がうまくなって、低血圧の私ですら早朝にぱっちり起こされてしまうほどの熱唱オンステージ状態(眠い・・・)。この界隈は、近所の川沿いを歩くだけで花見がすんでしまうほど桜が多い。しかも近くに緑地があって、けっこうまとまった量の桜が楽しめる。花見の穴場として最近遠くからもわざわざ花見客が集まるぐらいだ。というわけで、けっこう緑豊か(そのかわり駅から遠い)。考えてみれば交通量も比較的少なく、一日中静かで読書に集中できるし、そのくせ巨大都市トーキョーの中心には30分以内に到着でき、周囲の住民には節度があり、猫たちさえ幸せそうなこの環境ってすごい。家はオンボロでも環境は世界最高レベルだなあ、としみじみ思う。ありがとう、とうちゃん、かあちゃん。ぐすっ。
さて、プチ鬱状態から自力で這い上がりつつあるのは春だからではなく、ダンテの「神曲」の地獄篇を読んで癒されたからでもなく(けっこう癒されたけど)、勝手に仕事に手をつけたからだ。新しい仕事は決まってはいたものの、最終原稿が手元になかったのでまだ手をつけないことになっていたのだが、できるところから進めることにしたのだ。すると作業をしているうちにみるみる気分がよくなっていくので、驚きを超えて、自分にあきれてしまった。こんなに簡単なことだったなんて。形になるかどうかわからない仕事ではなく、形になることがすでに決定している仕事をすることが大事だったのか。要するに、社会の役に少しでも立っている実感を体全体で感じないと頭がパニックになるらしい。ともあれ、いまの仕事が好きなんだってことが、あらためてはっきりしてうれしい。
ここ数週間、また西洋占星術にこっている。とりあえずスーザン・ミラーの毎月の占いが気味が悪いぐらい当たるのでよく読んでいる(仕事しろよ!)。アクセス数もすごいらしい。ここです。
http://www.astrologyzone.com/main.html
ところで西洋占星術にはサビアンというおもしろいものがある。これは生まれた瞬間の星の度数一つ一つにこめられたメッセージのことで、特に太陽が示すサビアンはその人を象徴しているという。それによると、私は常に現状を破壊することを無意識に望んでいて(保身欲がない)、孤独な危機的状況の中で天からの啓示を得るのだとか。そう言うとすごいけれど、要するに「組織や体制にしばられるのが嫌い」で、なおかつ「追いつめられないとやらない」人ってことらしい。当たってる・・・。早く締め切りくださーい。
ちなみにアメリカの独立宣言を建国と見なすと、アメリカは蟹座で、サビアンは「研究のために差しだされた親指のきわだった手」。これはOKって言っているみたいに親指を立てて他の指は握っている形なのだそう。自分の信条を強く押し出して他を圧倒する人をあらわしている。当たってるじゃありませんか。しかも太陽と土星がよくない角度なんだけど、こういう人は「わがまま」(笑)。じゃ日本は? ええと、大日本帝国憲法が発布されて立憲君主国になった日を建国とすると、サビアンは「大きな熊が座って四足すべてを振っている」。頭が切れるのに感情が幼い・・・って、なるほど国際的な駆け引きが下手な感じとか、頭に血がのぼるとか、当たってる感じ。それじゃ、と今度は終戦記念日に設定してみると、「自分の使命を果たす伝書鳩」になる。現実的で従順で地に足をつけて訓練にいそしんでいる感じだそう。現実をよく見てアメリカに従順になりつつ、ひそかに国力を上げようとがんばってる感じ? 平和の象徴である鳩だっていうのも、なんとなくうなずける。ちなみに現在の中華人民共和国のサビアンは「人の住まなくなった家で燃えたつ暖炉」・・・これ、破壊されたので立ち上がろうと意志の力を燃やし続けているリベンジの度数なんだそう・・・。暖炉に燃えている火が、オリンピックの聖火としてうまく昇華されますように。
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やっと暖かくなってきた。外を歩けば、ウグイスが春本番に向けて、もっか歌の特訓中だ。まだホキョーとか、ケッケッケッケキョとか、ぜんぜんさまにならないが、それでも懸命に努力している様子。私もがんばろうと思う(何を?)。このところ、うちの界隈には野生の鳥がずいぶん増えた。数年前に都の方針でカラスの巣がだいぶ排除されたからだろう。近くを流れる川に鴨が姿を見せるようになったのが十年ぐらい前で、それからどんどん増え、いまはゆうに二十羽を超えるほどである。それにメジロやオナガはおろか、白鷺までやってくる。公園を歩くのが愉快になった。
さて久々に小説を書きたくなっている。先週レイモンド・カーヴァーを読んだとき、そう思った。日本人の作家の作品よりも、海外の作家の作品を読むと書きたくなることが多いのはどうしてだろう。日本語の優れた作品を読むと、自分が書く必要はないような気がしてくるのかもしれない。とはいえ、そんな私をすら書きたい気にさせた日本の作品もいくつかあって、たとえば松本清張の『或る「小倉日記」伝』、三島由紀夫の『真夏の死』、大江健三郎の『死者の奢り』、梶井基次郎の『桜の樹の下には』、なんかがそう(時間をかければもっと思い出すはず)。要するに非常にいい作品だ。ただし度を超すと逆効果で、樋口一葉を読んだときは、書きたい気になるどころか、すごすぎて打ちのめされ絶望し、かえって書きたくなくなった。海外の作家でも、たとえばドストエフスキーやカフカを読んで自分も書きたいという心境にはとてもなれない。とはいえ、魅力を感じないような作品を読んでもだめ。微妙。で、カーヴァーは、ちょうどツボに入ったようである。
と、純文学系ばかり並べているが、私がこれまで書いたものはどれも幻想小説だ。どうしてファンタジーかというと、私に客観的視野と想像力が足りないからだ。この二つがなくても、夢のようなことを並べれば幻想小説は書けてしまう(もちろん優れた幻想小説は別なのだが、いまはその話をしているのではない)。むしろ現実をそのままうつしとったような作品を書きあげるほうが、はるかに作家としての特殊な能力と忍耐強さを要求する。どうしてかは書いてみればわかる。私にはそんな能力がないから、幻想に逃げてしまうのだ。純文学を書こうとすると、むやみに理想が高すぎて書けなくなるというのもある。いずれにしろ、どうせ優れた作家にはなれないのだから書く必要もないようなものだが、とにかく今回のように発作的に書きたくなることがあって、そうするとやっぱり書いてしまう。最後に発作が起きてからやや人生経験が増えたから、今度は幻想でないものをなんとか書いてみたい。
でも本当は誰かに締め切りを設定してもらえるとうれしい。途中で投げ出すか、永遠に終わらないか、どっちかになることが多いからだ。量だけはあっても、最初から最後まできちんと仕上げた作品は5つほどしかない。せっかく書くのだから、ちゃんと作品にしたいと思う。アメリカの友達がよくやっていたように、誰かとライティング・グループをつくればいいのかもしれない。お互い締め切りを設けて作品を持ち寄り、交換しあって感想や提案を述べるのだ。でも周りにそんなヒマそうな人は誰もいない・・・。
でもとにかく何でもいいから、書き続けなければ、と思うのだ。アウトプットしないでいると、インプット能力が落ちる。アウトプットすると、インプット能力が高まる。だから文章を書き続けている人はインプット能力が落ちない、と思う。でも普通の人はそうやすやすと本を書いたりはできない。そういう意味では、ブログは手軽にアウトプットできるという意味で優れているし、すばらしい発明だ。
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昨日は、なんだか愚痴めいたことを書いてしまったと反省。
私の場合、こういう鬱な気分のときになぐさめになるのが、猫である。親ばかのようだが、何しろうちの猫は頭がよくて、人が何を言いたがっているのかだいたい察してしまう。猫は人間の四歳児ぐらいの知能があるらしいが、自分が四歳の頃を思い出すと、けっこういろんなことがわかっていたから、この子もかなりいろいろわかっているんだと思う。たぶん人がしゃべっていることも多少は理解できていて、実際「かわいい」とか「コラ」とか自分の名前には強い反応を示す。
しかも表情豊か。朝起きると挨拶をきちんとするし、疲れると「ふー」と言い、だっこするとゴロゴロどころか「クルクル」と喜び、寝ているところを起こすと「あーあ」と言い、人間の態度がよくないと目が合うまでじっとにらみ「もうっ」と文句を言い、怒ると猛烈な勢いで爪を研ぎ始める。おもしろい猫なのだ。
この子はもらってきたのでも拾ってきたのでもなく、向こうからやってきた。近所の半ノラだったのが、なぜかうちのことが気に入って、敷地の中に何ヶ月も居座った。そして人が出てくると顔を見つめてにゃーにゃーとアピール。人間で言えばすでにおばさんの年令らしいが、その根気よさと賢さとかわいさに負けて、ついにうちの中に入れてやることになった。
あとで知ったのだが、三毛猫が戸口に来ると幸運が来ることになっているらしい。うちの猫も、基本の柄はキジトラだが、鼻の下がミルクを飲んだあとみたいに白いので、一応三毛猫と言っても問題ないと思う。私にとっては、癒しになるという意味で、とにかく縁起のいい猫だ。
先日入手したばかりの『英語 迷信・俗信事典』(大修館書店)で猫の項目を調べてみると、イギリスでは黒猫が目の前を横切るのは縁起が悪いが、こちらに向かってくるぶんには問題ないそうである。しかも黒猫を飼うのはむしろ幸運だという。この本、読んでいると昔の人々の暮らしをのぞき見ているような気がしてきて、下手な小説より面白い。だいたいはイギリスかアイルランドの伝統から来ているようだ。たとえばテントウムシは縁起がよくて、トガリネズミはよくないらしい(トガリネズミってなんじゃそりゃ?)。ほかにも満月は人を狂わせるとか、皿を重ねて食事をしてはいけないとか、羽が落ちていたらそれを地面に突き刺せとか、いろいろ。親指を握るおまじないや紅茶の葉を使った占いなんかの記述もある。使えそう。
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数日前の朝、母が激しい腹痛を訴えたので急遽タクシーで病院に連れていった。ところが3時間以上かけてあれこれ検査したのに、原因も病名もわからないという。来週再び行ってCTスキャンと内視鏡検査をすることになった。先月私が病気になったばかりで立て続けのことなので、何か気味が悪い。それから母はずっと伏せっている。
痛い痛いとうめき続ける母を責め、症状のことはそっちのけで怒鳴りつけていた父。病院へは私が附きそうと言ったら黙り、趣味の集まりへ出かけていった。それからも関心を示さず、家事にも手を貸さず、今日になってチオビタドリンクを大量に買ってきて飲ませようとしている。もう一度言うが、この男が私の父である。緑内障のために失明の危機にあるせいで、精神的に限界に来ているのか? それとも・・・。幼い頃から、はっきり知っていたような気がする。
涙涙涙。滂沱。
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今日はカレーを食べた。カレー粉に含まれているスパイスが脳の血流量を増やすので、カレーを食べると頭がよくなる、という説をこの前どこかで耳にした。イチローは毎日カレーを食べているそうだ(頭がよくなるからではなく、ただ好物だからだと思われる)。私はもともとカレーに目がないほうで、ときどきわけもなく無性にカレーが食べたくなってしまう。昔、レヌ・アロラさんという人の書いた本格的なインド料理の本を買って、自家製のカレーづくりを研究したこともある。スパイスを十二種類ぐらいそろえて冷蔵庫にずらっと並べた。カルダモンとかクミンとかコリアンダーとか。そして、なぜかバリ島に旅行したときにおみやげに買った、スパイスを砕いて粉にする道具を使って、自分の手でガラム・マサラをつくった。それでもって、玉葱をえんえんと炒める手間も惜しまず、いろいろなカレーやサブジにチャレンジしたものだ。マスール豆とタマリンドペーストを入手して、サンバルをつくってみたことも。どれも本のように見た目よくはできなかったが、食べてみるとオリジナルの味になっていて感動した。スパイスをケチらずふんだんに入れるので、店で食べるよりももっと体中から汗が噴き出る感じ。なんとも爽快。ただ、一つ問題があって、信じられないほど油を使うのだ。二分の一カップとか平気でどぶんと入れてしまう。おそろしくてとてもカロリー計算なんかできない。なんであんなに必要なのだろう? カレーはインドの家庭料理ではないのか? インドの家庭では本当にあんな量の油を毎日消費しているのか?・・・答えは風の中だ。でもそれだけ油を入れておくと、最初の段階で玉葱を焦がさずに上手に炒めることができるのは確か。これがカレーの味を引き立たせてくれる。それに、油が少ないとサブジなどはすぐスパイスが焦げつく。それからもう一つ問題があって、スパイスがむやみに高くつく。小さなボトルに入っているスパイスを一つ一つスーパーでそろえていくのだが、合わせるとそうとうな値段になってしまう。袋売りしている店を探したのだが、そのときは見つけられなかった。カレー屋さんはスパイスをどこで買っているのか? 高いスパイスをたくさん使ってちゃんともとがとれるのか?・・・答えは風の中。でもいまはネット通販があるので、ずっと手に入りやすくなっているだろう。いつか自分の台所が持てたら、たっぷりスパイスを買いこんで油少なめのヘルシーカレー料理を研究&開発したい。でもいつかって、いつ? そしてどういう形で?・・・答えは風の・・・などと、いろいろ思いをめぐらしながら、今日はカレーを食べた。ありがたいことでした。
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一年ぐらい前だったか、アメリカから一通のメールが届いた。件名が「警察からの注意─次の人に回して」となっていたので、これはクサイ、絶対スパムだろう、と思い、開けなかった。発信元が友達の一人だったので気にはなったが、最近は、アドレス帳に登録されているメールアドレスに勝手にスパムを送るような迷惑メールもあると聞いたことがあったので、それかもしれないと思い、とにかく触れずに放置しておいた。それがこの前、ひょんなことで開いてしまった。そしてどうせ開いたのだから、とさっそく中味を読んでみた。けっこうまじめな感じの長い英文だ。だいたいの内容はこう。最近のギャングは、新入りが入ってくると夜中に車に同乗させる。その際、ヘッドライトを消しておいて、途中でそれを注意しようとパッシングする対向車に出くわしたら、その運転手を新入りに殺させる。それがギャングの仲間になるためのイニシエーションになっている。だから、変な車を見かけても絶対に相手にしないように。ざっとこんな感じ。要するに、このメールは人々の安全のために注意を呼びかけていたのである。しまった、善意のメールだったのか! 人を信じられなくなっている自分がかなしい。考えてみれば、私はただ道を聞こうと声をかけてきただけの人に対しても身構える傾向がある。よそから来た人たちは、東京の人はなんて冷たいんだろうと思うにちがいない。自分は外国でずいぶん親切にしてもらったのに、こんなことでいいのか。でもこのメール、なんで日本にいる私にまで回ってきたんだろう(いまさらその友人に聞くのもちょっと)。もしかして、限りなく本物らしいスパムなのだろうか? もし誰か、このようなメールを私から受けた人がいれば、それは自動的に送られたわけで、明らかにスパムである(まだ言ってる)。もしそういう方がいたら、すみません!
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ここのところ抗生物質をしばらく飲んでいて、少しふらふらする感じがあったけれど、ぜんぶ飲みきってみたら、もとどおり、何事もなかったかのように元気になった。やっぱり健康第一だと痛感。暖かくなってきたから、また走り始めよう。
さて昨日、ひさびさに絵の教室へ。二枚目の絵が下塗りのままになっていたので気になっていた。今回も対象は静物の基本の組み合わせだ。まだまだ修行が必要らしい。前回はちょっと現実離れしたイメージで描いたので、今回はリアルに迫ってみようと思っている。・・・と、意気込みはいいんだけれど、洗い方がまずいのか筆が油でがちがちに固まってしまって、うまく絵の具が乗らない。おまけに、来てるかなと期待していた友達が来ていなかったりして、いまいち気分も乗らなくなってくる。うまく集中できないまま二時間半が終了。次回がんばって、なんとか描き上げたい。
中国語のラジオ講座のほうは、ここのところ聴いたり聴かなかったりではあるものの、いちおうは続けている。料理が辛かったら「辛すぎ!」ぐらいは言えるようになった。面白くなってきたから4月からちゃんと教室に通おうかと思っている。以前は英語のリスニング力をみがくほうが先じゃないか、という気分だったのだけれど、最近はそっちのほうに力を入れるのがむなしくなってきた。
アメリカ在住5年の友達によれば、35になってから英会話を学んでも、ネイティブっぽくなることはないらしい。いくらやっても聞き取り能力が伸びないので、難聴なのかもしれないと本気で心配していた。悩みを持たないのが主義のような人がそう言うのだから、よほどのことだ。実は私もアメリカにいたとき、同じ徒労感に悩まされていたのでよくわかる。ちなみに友人は向こうに知人も多く、おしゃべりだし頭もいい人。要するに、外国語学習って年令との闘いの部分が大きいのだ。一度は二十代までに英語のシャワーを浴びなきゃいけない。でも面白いのは、英語がどれだけうまくても友達をつくれない人はつくれないし、どれだけ下手でもつくれる人はつくれる、ということだ。理由は、よくわからない。
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寒い。そんなこと言われなくてもわかっていると言われるのはわかっているが、寒い。何しろ家が古い安手の木造なので、壁が薄いのだ。唯一の電気ストーブが、ほとんどといっていいほど効かない。四畳半の広さしかないのに、夜中になるとストーブを「強」にしても8度ぐらいまでしか上がらない。しかたなくセーターの上に綿入れ半纏をはおり、普通のズボンの上にフリースの防寒ズボンをはいて二重にし、足にはスキー用の靴下をはくという雪ダルマ状態で仕事をしている。わびしい。これでは血のめぐりが悪くなると思い、去年まではホットヨガをやっていたのだが、温暖化防止の観点から今年は見合わせた。ホットヨガはガスストーブをがんがん使うのだ。そんなこと言って本当は夏から始めたジョギングを続ければいいのだけれど、やっぱり寒くてやってられない。だから運動不足で頭が働かない。でもってポンコツ。つい酒。嗚呼。
ところで、「寒さ」を表現していて、うまいなあ、と思った一節。
「夕暮になると、山際に一つの星が瓦斯燈のように輝いて、彼を驚かせた。こんな大きい目近の星を、彼はほかの土地で見たことがない。その光に射られて寒さを感じ、白い小石の道を狐のように飛んで帰った。落葉一つ動かずに静かだった。湯殿に走りこんで温泉に飛び込み、温い濡手拭を顔にあてると、初めて冷たい星が頬から落ちた。」
私は以前カリフォルニアに住んでいて、その際ほとんど季節がない状態を経験し、おかげで冬のありがたさに気づかされた。いつもヌルい空気の中にいて、常に花々があちこちで咲いている状態を見ていると、景色がちっともきれいでなくなってしまうのだ。緑や花がホコリをかぶっているように見えてくる。だから春がそれほどうれしくない。いやそもそも春は存在しない。いきなり夏になるのだ。だから時間があっという間に過ぎていくような感覚があって、人々もあせって生き急いでしまう。彼らは立ち止まらない。
帰国するとき、飛行機の窓から日本を見下ろしてまず思ったことは、世界一美しい国に帰ってきたということだった。緑の色合いが決定的に違う。アジアの緑の濃さ。その、なんという瑞々しさ。冬の死を経験するからこそ美しい希望の緑は、人を立ち止まらせ、深呼吸させる。ところでさきほどの一節を書いたのは、川端康成です(笑)。ホカロンはくさいよ。
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今日は一日、仕事。仕事のときは常に何かを飲みながらやっている。コーヒー、たんぽぽコーヒー、紅茶、緑茶、ミロ、ココア、ハーブティー、ジュースをとりそろえてあり、その中から気分で選ぶのだが、ジュースと緑茶はあまり飲まない。おもに飲むのは午前中にコーヒー、午後にミロとたんぽぽコーヒー。たんぽぽコーヒーは値がはるのだが、体によさそうなので去年の冬から飲み出した。健康になったという実感は特にないが、香りがとてもいいので気に入っている。ミロはカルシウムがたくさんとれるというので精神安定剤として。夜にはハーブティーを飲む。それと寝る前にワインを少し。だいたいはこの繰り返しだ。仕事に煮詰まるとお湯をわかしに台所へぶらぶらと出かけていく。気分を変える意味もあるのだ。
ところで問題は、飲み物を飲むとつまみが欲しくなることだ。これもやっぱり各種とりそろえてあって、ウェハース系菓子、せんべい、アーモンドなどのナッツ類、チョコレートあたり。台所で湯がわくのを待っている間に、これをついついつまんでしまう。おかげで正月太りという言い訳も通用しない状態になりつつあるような・・・。
話は飛ぶが、いまさらだけどビヨンセってきれい。『ドリームガールズ』で気になったので、すかさずライブの映像みたらすごくよかった。映画よりいい。虎やライオン系の野生美があって、踊りがうまいし、オーラはマドンナをもしのいでいるように思えるんだが、どうだろう。ツタンカーメンみたいな顔もたまらないし、連獅子みたいに髪を振り回す姿もいいし、ドスのきいた声も好き。もしいま私が二十才ぐらいだったら、髪をウェービーにしたりして、いろいろ彼女の真似していただろうと思う。まさしくディーバ。でもなぜかCDを買う気になれないのはどうしてだろう。DVDが欲しいです。それと、来日コンサートがあったら、なんとかして行きたいです。
彼女を見ていたら、本気でやせたくなってきた。昔、ダイエットの本を編集したことがあるが、そのときダイエットには近道なしと知った。健康を害さずにやせるには、カロリー計算して必要以上に食べないようにし、なおかつ運動もする。これしかないのである。とはいえ私は以前、夕飯を何日か抜いてしまう荒技をやって成功し、幸運にもリバウンドしなかった経験がある。しかもきつい運動なしで。また、やろうかな。早くジーンズをはきたいし。
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遅ればせながら今年もよろしくお願いします。今年はもうちょっと頻繁にブログをアップしたいと思います。
毎年恒例の初詣、今年も元旦にちゃんと行ってきた。おみくじをひいたら、吉。去年と同じだ。ということは、今年もすばらしいことが起こってしまうんだなあ。そうか、やっぱり。でもそういえば、おととしのおみくじはもっとすごかった。中吉ではあるが、書いてある内容が派手で、「大魚が龍と化」して「天空を翔る」とあったのだ。確かに仕事を再開して形にした年だ。けっこう当たっている。それじゃ今年はというと、「徳あらわれてかがやくなり修行の後なれば夕日かげにたとえたり」だそう。望みごとはかなうが、少し先になるのであわてないこと、というような意味らしい。とにかく、うまくいくんである。
ところで年の初めのお参りはちゃんと氏神様に参拝するのが基本だって知ってましたか? 明治神宮まで行ってきたからもう安心、ではだめ。自分が住んでいる土地を守っている神様に旧年のお礼とごあいさつをしないと。そう、何かをお願いするのはお礼のあとだ。私は大学受験で浪人したとき、ひそかにこの氏神様を信じるようになったのだが、その後、引っ越したりしてごぶさたすると、よくないことが起こった(ホント)のに、再び拝むようになると運が上向いた。それで最近は新年以外にもときどき頭を下げに行っている。で、行って帰ってくると、いいニュースが届いていたりするのだ。思うに、祈りというのは、人を自己暗示にかける効果があるんじゃないだろうか。私の場合は、「氏神様にお祈りしたら合格した」から「氏神様にお祈りすればきっと願いはかなうだろう」までに変化する過程で、さらなる成功例を何度か体験して暗示が強化され、やがて「氏神様にお祈りしたから、願いがかなうことは決まったようなものだ」と自信満々になり、これが結果的に成功率をアップさせることになったにちがいない。ジンクスに似ているとはいえ、お参りはただのジンクスとはやっぱりちょっと違うと思う。祈るとき、人はなにげに謙虚になる。自分が普段いかに慢心しているかに気づいたりもするのだ。実はこれがいちばんの効用かもしれないと思う。
読書はいまのところ、ツヴァイクの『昨日の世界』に興奮中。これは好きな作家がどこかですすめていたので、さっそく図書館で借りたのだが、やっぱり正解だった。それと一緒に借りてきた『小説の文体──英米小説の言語的アプローチ』もおもしろそうだし、今年も春から縁起がいいわえ。
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ずいぶんブログを休んでいた。その間になんと初の油絵作品が完成! モチーフは静物の組み合わせなのだが、ためしに野獣派の色彩と印象派のタッチを用いてみた。するとお世辞にもうまいとは言えないものの、オリジナリティに(きっと)あふれた傑作になった。先生からは「おもしろい」というほめ(?)言葉。いい意味で変なんだろうな、と思いたい。来年は自画像に挑戦する気でいる。人種がわからないような、ものすごく妙な顔にするつもり。
それからブリヂストン美術館展に行ったり、六本木の新名所を見に行ったり(いまごろ!)、パソコンを修理に出したり、クリスマス・カードと年賀状を書いたり、寒いからジョギングに行かなくなったり。そうこうしているうちに、もう年越しだ。今日は人並みに大掃除をしたが、ホコリがあまりに積もっているので我ながらあきれた。おかげで家の中にもうもうとした空気がたちこめ、それでもかまわず寝ていた猫が喉をやられて、蛙みたいな声を出している。
本は中勘助を読み終わり、いま読んでいるのは横光利一の晩年の作品。この人、ときどきおそろしくうまい表現をするので、読んでいると何度も息をのんでしまう。比較的若くして亡くなったのが惜しまれる。ちなみに今日は横光の命日だ。
それと、いまニューヨークから親友が里帰りしているので、ひさびさに飲んだ。久しぶりに会う友人は少し変わったような気がした。賢明になったくせに、辛抱強くなったくせに、臆病になった。つまり年をとったということで、実は私も同じかもしれない。
さてあっという間だったこの一年。振り返ってみると信じられないほどいい年だった。まず健康だったし、そのうえ仕事がうまくいった。おいしいものもたくさん食べた。絵もうまくなったし、美しいものもけっこう見た。じゅうぶん過ぎるほど幸せだ。いや最高だ。本当に幸運。いや自分の運ではなくて、すべて人さまからいただいた福である。家族を含め、お世話になった皆様に心から感謝したい。
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次回へ続く、などと気をもたせるようなことを書いたが、実はその後、彼女と二人で話す機会は二度となかった。彼女は職場で能面のような笑顔をいつも貼りつかせている人で、かなりストレスをためているのが普段からよく伝わってきた。つまり、リラックスできない人なのだ。
偉そうなことは言えないが、人生を好転させるのに必要なのはリラックス力と集中力じゃないかな、と思う。リラックスするときはして集中するときはする、というのではない。常にリラックス状態を保ち、同時に目の前の体験に集中するのだ。リラックスしていなければ本当の意味で集中することはできないだろうし、集中せずにただリラックスしているだけなら、あっという間に無為に人生が過ぎてしまうだろう。リラックスして集中する。そうして、すべてに全力を尽くす。すると少しずつ物事がいい方向へ変わっていくはず。実はこれには元ネタがあって、確かロマン・ポランスキー監督が、いい演技をするために必要なのは「リラックスと集中だ」(たしか)と語っていて、ふとそれは人生にも通じるな、と思ったのだった。
どうして人生を連想したかというと、かつて尊敬する恩師のような人に「遠くを見なさい」と言われたことがあるからだ。遠くを見れば、近くの困難が小さく見えるということなのだろうと勝手に解釈しているが、これはリラックスする技術だと言えるだろう。さらに、辛酸をなめて生きてきた孤児の友人にこう言われたことがあるのだ。「(先のことを気にせず)ただ足元だけを見つめて歩けばいいんだよ」。これは、よけいなことを考えずに目の前のことを一生懸命やれということだ。これは集中する技術に通じるだろう。この二人の言うことが、ポランスキーによって、頭の中で見事なほどうまくつながったのである。ここ数年は、折あるごとにこのことを思い出すようにしている。そうして、すごく遠くとすごく近くしか、見ないようにする。
とはいえ、実際に「リラックス+集中」状態を維持するとなると、これがなかなか難しい。リラックスするにはあれこれ心配ごとがあってはならないし、過ぎたことをくよくよしてもいけない。だから「遠くを見る」ために目標や夢を持つのがいいのだが、私は最近おおむね夢が実現したので遠くが見れず、ちょっと困っているところだ。でも本当に好きなことに夢中になっているときは、なんの努力もせずに無意識にリラックスと集中が実現していることがある(この状態をフローと呼ぶ人もいるようだ)。だからやっぱり好きなことをしたほうがいいのだ。わ。あたりまえのことを言ってしまっただろうか?
先の彼女は明らかに好きなことをしていなかった。仕事もそうだし、恋も。不満だらけで、どちらにもリラックスできず、だから集中できず、おまけにどんどん年をとるのであせってしまい(私から見れば若かったが)、物事が悪循環に陥っていたのではなかろうか(たぶん)。思えば、ほかの多くの女性社員はスクールに通ったり子供を育てたりしていて、少なくとも未来のビジョンというものがあった。でも例の彼女はそういうこともあきらめてしまっているようだった。そうこうするうちに任期が終わって二度とその職場に行くこともないので、いま彼女がどうしているかはわからない。でも幸せになっていてほしい。人生は、紙一重みたいなきっかけで劇的に変わるしろもの。本当にそう思う。
ところで私はといえば、あまりの暑さにリラックスしすぎて、何にも集中できないよ最近。早く仕事をとってこなければ・・・。
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昔、少しだけ派遣で働いたことがある。仕事は、書類に間違いがないかつき合わせチェックをする、封筒に切手を貼る、切手が足りなくなったら買ってくる、朝のゴミ出し、など、アルバイトの高校生でもできる作業ばかりだった。だから首をひねった。学生バイトを安く雇えば人件費は約半額ですむはずだ。なぜわざわざ派遣を呼ぶのだろう。社員の人に理由を訊くことはできなかったが、知人によると、学生バイトを働かせていると、クライアントの信用を損ねることがあるのだそうだ。そういえばがんばってかなりの信用を勝ちとっても、外線の電話だけはとらせてもらえなかった。そういうわけで仕事そのものはたいしておもしろくなかったのだが、実はそれを補ってあまりあるほど、昼休みがおもしろかった。みんなランチを食べながら、家庭の愚痴、人生の悩み、上司の悪口などを私には気軽に吐き出すのである。私はどうせすぐ辞めてしまう派遣社員だから、何を言っても後腐れがないからだろう。ふんふん、と私はただ聞いていた。そういうのを聞かされるのはたまらない、という人もいるだろうが、私は目がないほうである。喫茶店にいても、隣の席の会話に耳を澄ましてしまうぐらいだ。だから、昼食には多人数でワイワイ行くのではなく、二人か三人ぐらいでこそこそ行くのが好きだった。
あるとき、一人の女性社員A子とゴハンを食べていたら、不倫の話になった。A子の親しい友人が長年にわたって(確か6年ぐらい)不倫をしているという。しかも、好きになった人にたまたま奥さんがいただけのことだ、とうそぶいているとか。はっきりと記憶にはないのだが、私はそのときたまたまパートナーに不倫をされた側だったので、それは空しい、とか、無責任、とかなんとか言ったような気がする。A子は黙って皿をつついていた。その顔がなぜか忘れられず、あとになって、はたと膝を打った。もしかしたらその彼女はA子本人のことであり、A子は自分には罪はないと信じつつもやはり後ろめたさがぬぐえず、そうやっていろんな人の意見を聞いていたのかもしれない。しまった、と思った。<次回に続く>
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やっと仕事が一段落。うれしい。
あまり音楽に詳しいほうではないが、夏になると、ジャニス・ジョプリンの「Summertime」とホリー・コールの「Calling You」とビートルズの「Strawberry Fields Forever」だけは聴く。夏のもやもやとけだるい感じには、日本語より英語のほうがぴったりくるが、どうしてだろうか。たとえば井上陽水の「少年時代」とか松任谷由実の「瞳をとじて」なんかは、夏の曲としてかなり好きではあるが、夏に聴くのではなく冬に聴く。夏にあこがれて聴くのだ。体ではなく頭だけが夏になる感じがするせいかもしれない。
ビートルズはそれほど好きではないのだが、上記の曲にはちょっとした思い出がある。大学生の頃、映画のサークルで頼まれて自主映画に出演していた頃のことがいろいろよみがえるのだ。そのサークルでは、まともな恋愛ものなんか誰もつくっていなかった(つまらないから)。そのかわり仮面ライダーとかホラーとか、何でもありだった。
そういうわけで、私の役はなぜかいつも殺人鬼とかで、おかげでライフルを構えるのがうまくなった。寺山修司に影響を受けていた監督の命令で、白いお面をかぶって渋谷の路上で舞ったこともある。その作品のテーマ曲がビートルズだった。そういえばあれも夏だった。いま思うと、よくあんな真似ができたもんだと思う。ほかに別の監督でゾンビの役をやったこともある。その監督は十年後に自殺した。天才だったのに。
思えば不思議な時代だった。あの頃はバブルだったはずだが、まったくそんな気がしなかった。大学へ行けばブランドもののバッグだらけだったし、女はボディコンだったし、男は車で通学する学生もいた。でもサークルにはなぜかそういう人々がいなかった。みんなお金がなくて、ださかった。私も、本ばかり読んで、ものすごくどんくさかった。大学にいてもどこにいても、いつも浮いているような気がした。その頃のことはなつかしいが、もう一度もどりたいとは思わない。昔の自分を思い出すだけで恥ずかしい。過去をすべて抹消してしまいたいぐらいだ。何かこせついて、どんよりしていた。時代のノリについて行けないというひがみもあったかもしれない。それに当時、自分がとてつもなく馬鹿だということにうすうす気づいてはいたが、実はそう捨てたものではないかも、とも思っていて、救いようがなかった。いまでも馬鹿だが、いまは自分が馬鹿だということがよくわかっている。すごい進歩だと思う。でも、いまの自分だったら映画に出演しなかっただろうし、そうすれば幻の天才監督たちにも会えなかっただろう、とも思う。夏になると、不思議とそういう青春を思い出す。
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世の人の見つけぬ花や軒の栗
私は芭蕉の大ファンだが、この句は特に好きな句の一つだ。栗の花というのは、いまいちぱっとしない花なので、人に気づかれずにひっそりと咲いているが、それを芭蕉は美学にしているのだ。わび・さび・しおり、とか言われるが、そんなふうに名前をつけてしまうと、本当の作品のすばらしさが曇ってしまうようで、あまり好きではない。いいと思ったものはいいし、そうでないものはよくない。それでいいじゃないか……と人の頭を少年期に帰らせてしまうほどの力を、芭蕉は持っている。
フェリーニの『道』がいちばん好きな映画の一つだというのも、この精神があるからである。ジェルソミーナはこんな言葉を聞いて元気を出す。「あの石ころを見てごらん。石ころ一つにだって価値はあるんだ。何にだってある。この世に無駄な存在は一つもないんだよ」私の頭の中で台詞を多少、勝手につくりかえてしまったかもしれないが、ともあれ忘れがたい、いい脚本だ。
前置きが長くなったが、なぜこんな話をしたかというと、昨今のインターネットの情報検索の仕組みが気になるからだ。グーグルは、人々のアクセス数で検索上位のページが決まる。つまり多数決で決まるのである。究極の民主主義だ。なんでもかんでも「多数派の勝ち」の世界がやってくるのか、となんだか恐ろしい。
昨今の検索というのは確率や統計の世界だが、これはサンプル数が多ければ多いほど正確な結果が得られる。だから、人口が多いところが勝つことになる。たとえば英語と日本語と両方の言語で検索をおこなうと、英語の検索結果のほうが質が高いと認めたくなくても認めざるをえない。いいページが最初にヒットする傾向が、日本よりも明らかに強いのだ。人口が、というより検索人口が、英語圏には日本の四倍くらいはいそうだから、仕方がない。英語圏にいる人間は、情報については得をしていると言えるだろう。しかしこのことに危惧は抱いていない。ある特定の時代の多数派が選んだものが、後世にも残るほど優れているとはかぎらない、というのはすでに歴史が証明している。むしろ不安なのは、少数派が抹殺されていくのではないかということだ。
調べてみたことはないが、ネパール語やイボ語やウルドゥ語のホームページというのはどのくらいあるのだろうか。それともそんなワープロソフトはないのだろうか。もしナイジェリア人が「グローバル」な波に乗り遅れないように、こぞって英語を使うことに決めたらイボ語はなくなるのだろうか。インターネットやコンピューターは、長い時間をかけて醸成してきたものを一瞬で消去してしまうようなパワーを持つツールかもしれない、とときどき思う。たとえば三百年後、日本語という言語はちゃんと残っているだろうか? みんな英語を話し、香港人みたいに子供の名前をイザベルとかアンドリューとかにしていないだろうか? 想像だにしたくない。
そうなったら彼らはもう芭蕉をちゃんと鑑賞できないだろう。先ほどの句は英訳ではこうなる。Blossoms unnoticed/By people of this world –/Chestnuts by the eaves.(ドナルド・キーン訳)これはいい訳とは思うが、「軒」の絵が浮かばず、かわりにビクトリア様式の白い建物の出窓かなんかを思い浮かべてしまう。言葉は文化と密着している。言葉を失うことは、文化をなくすにも等しいことではなかろうか。インターネットは世界を単純化してしまうかもしれない。そして私たちの頭の中まで。こんな危機感を持っているのは私だけではないだろう。「軒の栗」をいつまでも大切にしたい。それが多様性につながり、人類全体の強さにもつながると信じている。
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肩こりがひどい。ブログのタイトルは伊達につけてるんではない。慢性の肩こり症候群なのだ。ただでさえそうなのに、この前パソコンで映画鑑賞をしたらてきめんだった。映画は三時間続く『さらば、わが愛/覇王別姫』(陳凱歌監督)。レスリー・チャンの京劇メークが妖艶で、つい食い入るように観てしまった。終わって首を回したら「痛!」と叫びそうになった。さらに陳凱歌監督の作品をもっと観たいとばかりに『北京ヴァイオリン』にも手を出し、肩こりはさらに悪化。明らかに目の疲れから来ている。それでもこりず、今日は同監督の『黄色い大地』を観る予定なのだが・・・。
パソコンを使わなくなれば肩こりも治るのではないかと思うのだが、パソコンはどうしても仕事に必要なので、その選択肢はない。それでこれまで肩こり解消のため、ヨガを試したり、眼精疲労治療に通ってみたり、いろいろした。でも、どれも画期的な効果はなかった。そこで先日、もしかすると座っているときの姿勢がよくないのではないかと思いたち、せめて椅子をかえてみることにした。そして選んだのは、椅子というより、大きな風船だ。バランスボールという。ボールに座った状態でバランスをとっているうちに腹筋がついたり姿勢がよくなったりし、集中力も高まるというので欧米の学校でも椅子として採用されている。何より安値なのがうれしい。高級な椅子にはアーロンチェアとかストッケとかあるけれど、そういうものをいきなり試すよりは、まずこれ。ふた桁違う。付属のポンプを足で押して、空気を入れる。大きな球なのですごく存在感がある。
ぼよよよ。ぼよよよ。
座ったらすぐに転がり落ちるかと思ったが、意外と簡単。すぐに慣れた。こんなので本当に効果があるのか、という感じ。姿勢はというと、これは自然によくなるわけではない。やはり意識していないと背筋は伸びないので、そういう意味では普通の椅子と同じだ。あくまでも積極的に治そうとしないとだめなのだ。でも背筋を伸ばしお尻を突き出した姿勢にした場合、お尻の形に風船が合わせてくれるため普通の椅子よりも安定する。そのせいか楽で疲れにくい気がする。もしずっとこの姿勢でいられれば、自然と腹筋も鍛えられそうだ。だけど問題は、悪い姿勢でもちゃんと安定するということで、知らず知らずのうちに猫背のままでいれば意味がない。
集中力が高まるかどうかは謎。楽しくてうっかり弾んだりすると、すぐに酔う。ボール酔い。とはいえ前の椅子(木の折りたたみ椅子)よりはいいみたいだし、疲れたら座ったまま腰を前後左右に動かしたりできるので、きっと血行にいいと思う。というわけで、もうちょっと使ってみないと効果のほどはわからないが、当面の間はやっかいな肩こりとの闘いは続きそうだ。
いっそマラソンでも始めてみようか。 春になったことだし。
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終わってうれしい確定申告♪ ゲーテは作品の中で複式簿記を礼賛したと言われているけど、やっぱり彼もがんばって自分で申告書を作成したのかしらん。『ファウスト』の原稿料なんかを。
私は今年が初めてだったので少しおたおたしたが、丸一日つぶしただけで済んだ。最初はオンラインで作成しようと思ったものの、自分はどの書式を使えばいいのかすらわからず、あきらめて税務署に直接行った。すると入口に二人も職員が待ち構えており、「職業は」「年収は」などと尋問されてびびったが、ささっと必要な書式や手引きをすべて揃えて渡してくれた。ネットでも親切なハウツーが読めるけれど、やっぱり人に聞くのがいちばん早い。
さて自宅に戻って領収書の整理からスタート。そして携帯の電卓機能を使いながら、もらった手引きに従って数字を記入していくと、意外とあっという間にできてしまった。ところが、一応インターネットでもいろいろ調べたところ、青色申告の複式簿記なら65万円も特別控除してもらえることが判明し、ショック。当然そっちと思ったのだが、前年の3月15日までに申請をしておかないと青色申告できないことがわかって、これまたショック。もちろん白色申告書とともにその申請書も提出した。さっそく会計ソフトを買わねば。
おまけに、電話代だの光熱費だのまで経費になるとは知らなかったので、年末の大掃除のときにそれらの控えを片っ端から捨ててしまっていて・・・くく、悔しい・・・。あまりに悔しいので、一気に申告書を仕上げ、すぐさま提出。できるだけ早く忘れることにした。だから本当に丸一日しかかからなかったのであった。
うおお来年こそリベンジだあああ(拳)!
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絵はいまのところ、ワインの瓶を描いている。鉛筆でガラスを描くのがこんなに難しいものとは思わなかった。恥ずかしくて、まだとても人に見せられるレベルではない。でも自分の手で少しずつ作品ができあがっていくのを見るのは、楽しい。次は手を描くようだ。ついに人間。いずれ人の顔を描くのが楽しみである。
一人でこつこつと積み上げてものをつくるのは、もともと向いているらしい。これはアランセーターを編んだときに発見した。できあがったときだけでなく、編んでいる間も幸せを感じた。考えてみれば、いましている仕事もセーターを編む作業と似ていないこともない(頭にかかる負荷はそうとう違うが)。だから、一生続けられそうな気がしている。普段でも、特に身につけるものに自分の手を入れることが多い。買ってきた服を少しだけ改造するのだ。たとえばジャケットのボタンを全部つけかえるとか、この前は染みがついた白いセーターを茶色に染色して、再びよそゆきにしてしまった。吉祥寺のオカダヤには何時間いても飽きない。
でも昔から夢みているのは、機織り。『鶴の恩返し』などの昔話やNHKの『新日本紀行』(最高のお気に入り番組だった。冨田勲のテーマ曲が忘れられない)によく出てきた機織りのシーンは、子供時代の憧れだった。それから夢がふくらんで、いまでは生まれ変わったら機織りになろうとすでに決めているぐらいだ(もちろん体力と根気のいる大変な仕事だとは思うのだが・・・)。昼間は糸を染めて機を織り、夜はお酒を飲んで踊ったりなど、したい。祭りのときには自分の織った着物で人々が踊るのを、見たい。そういう来世を夢みるとき、現世は多少早く終わってもいいや、と思うこともある。そう思うと、いろいろ気が楽になる。現世ではまず当分は無理だ。というか、ほとんどありえない。機織り生活実現のためには、大きな織機とそれを置く広い場所を、(音が周りに響くので)一軒家にもうけなくてはならない。糸を洗うのに、清水もたっぷり必要だ。都会でこれはそうとうな贅沢だろう。だいたいからして師匠が都会にいない。しかし現世の私は東京にずっと居座る気なのだ。だから来世に持ち越し。そのためにも人間に生まれ変われるように、祈りたい。
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最近ヒマな時間が多いので、それなら本でも読めばよいのに、気がつくと占いなどをやっている。実はパソコンで計算できるソフトを持っているので、かなり細かく結果を判定できる。それで、これまでよく友人の誕生日を聞いては、四柱推命や西洋占星術で占ってあげたものだ。そしてその経験からすると、日本人は四柱推命で、西洋人は西洋占星術でみたほうが、的中率が高いような気がする。やはり置かれた環境によって運命は大きく変わるのだろう。
たとえば日本人である自分自身を占ってみる。
まず西洋占星術だ。第10ハウスに太陽と水星と土星が合で、これらに対して月と天王星と冥王星がすべてオポジションになっている。そして六つの星すべてに対してアセンダントがスクエア。たしかにあらゆる面で矛盾したり葛藤したりすることが多い。特に第4ハウスの天王星のアスペクトが悪く、家庭に幸せを求めてはいけない運命であることがわかる。ところで大きな救いは財運の第2ハウスに入っている幸運の木星で、これが火星以外のすべての星に対してアスペクトがいい。特に海王星との相性がいい。これは億万長者でもおかしくない運勢だ。ほかには第11ハウスの金星と第6ハウスの海王星がまあまあいい感じ。ドラゴンヘッドも11だ。つまり総合するとこうだ。「家庭的な幸福を得ることはできないし、心安らげる日も来ないでしょう。しかし、ひたすら働いて社会に奉仕すれば、いい仲間や支援者に恵まれ、財産を築くことができるでしょう」。要するに働きバチの運命なのだ。だが、おかしい。わたしの今年の収入ときたら雀の涙であるし、あまり仕事も多くなかった。
いっぽう四柱推命ではどうかというと、プライドが高く真面目だが世渡りが下手と出る。通変星には偏官が多く、これは仕事の星であるが、転職が多いという意味もある。建緑の日の生まれだから努力をすれば願いはかなう。逆に言うと努力しなければ運はひらけない。中年まで幸運なら後半生は不運になり、中年まで不運なら後半生は幸運に恵まれるそうなのだが、わたしは前半生に幸運も不運も両方あったので、そうすると後半生にも両方あるのだろう。月柱に傷官があるので直感でものを考えるタイプ。財運はまあまあいいほう。家庭向きではない。出世運の神殺が見られるが、孤独を暗示する神殺がついている。ただ時柱に天乙貴人がついているので、晩年は幸せかもしれない。
このように、西洋占星術にも当たっている点はあるが、どちらかといえば四柱推命のほうが正しい。ただし占いそのものを読むのが難しいので、実は読み方が間違っているかもしれない。それに、少なくとも産まれた時間までわからないと、正確には判断できない。わたしは一応母子手帳に書かれている出生時間を使っているが、かなり昔のことなのでおおざっぱに記録された可能性もある。
ところでなんの脈絡もないが、ディープインパクトの引退は本当に残念だ。美しい馬がひたむきに駆けていく姿には心打たれる。いつまでもいつまでも見ていたくなってしまう。というわけで、馬も占ってみよう。いまはウィキペディアがあるので、誕生日や出生地がいとも簡単に調べられるから便利だ。ディープインパクトはサラブレッドだが日本生まれの日本育ちなので、四柱推命でやってみた。すると。なるほど、うなる。日柱には「魁ゴウ」。年柱には「飛刃」がついている。これはギャンブルの星。人間だとアブナイが、競争馬なら抜群だ。月柱に劫財と傷官が並んでいる。感性が鋭い職人気質。競争心も人一倍に違いない。非常に頭がいいので、自分の仕事のことはだいたい理解しているのではあるまいか。またけっこう神経質なので、フランスへの長旅ではさぞやストレスを感じただろうと思われる。子供に恵まれる運があるので、種馬として有望。だいたいが、これほどハンサムなオスに恋をしないメスはいないだろう。これからはたくさんの女性に囲まれ、楽しい余生を送ってほしい。本当にお疲れさまでした。
また話は変わるが、最近、紫微斗数という占いがあるのを知った。さすが中国は奥が深い。しかもすごく当たるのでいま台湾で大人気だそうだ。わたしも試してみたいとちょっと覗いてみたが、なぜか本やホームページによって命盤が違って出てくるため、混乱させられる。それもちょっと違うどころではなく、劇的に違う。でもいずれの命盤でも、組織向きではないという以外は、なかなかいい星がついていてうれしい。当たる当たらないより、とにかく自分にやさしい占いを選ぶのがいちばんだと思う。というわけで、これから紫微斗数を研究してみようかという気になっている。
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最近、寝つきが悪い。軽い不眠症のようだ。眠れないまま目をつむっていると、忘れたい過去やとうに忘れていたつらい思い出が、次から次へと目の前に立ち現れて気がめいる。朝起きてから鏡を見ると、眉間にしわがくっきり残っている。カフカは友人に、書くことは目を閉じる一つのやり方なのだ、と言ったそうだ。書くことで思い出を芸術に昇華できる人は、安らかに目を閉じることができるのだろうか。うらやましいことである。だが体を酷使すればすぐ眠れるはずで、単なる運動不足と言われてもしかたがない。だから最近は活動するために寝るのではなく、寝るために活動しているような気がする。
今日は夕焼けを眺めながら近くの公園を歩いた。今年は蛾の幼虫が大量発生したらしいが、そのせいか木々の葉が穴だらけだ。広場で子供たちがにぎやかにサッカーの練習をしている。このへんは私も子供の頃よく来て遊んだ場所だ。その頃いつも一緒にいた友人のことが思い出される。その子とは別の高校に入ったあたりからなぜか会わなくなり、近くに住んでいながら音信不通のまま数十年たってしまった。いま頃どうしているだろう。まだこのあたりに住んでいるのだろうか。もしそうだとしても、いまさら訪ねに行くこともできない。今夜寝つけなければ、あの顔が浮かんでくるかもしれない、とふと思う。でもそれはつらいことなのだろうか。つらいとしたらどうしてなのか。わからないまま、家に戻るときいつもと違う道を選んだ。そして家の近くまで来たところで立ち止まり、窓を見上げた。ぽっと明かりがついている。私は静かに暮らしていた。
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本はおもに夜、読む。寝間着に着替えて寝る準備をしてから、寝床で読む。そして読み終えるか、そろそろきりのいいところで寝ようというときに、酒を飲む。いい本を読んだ後で酒を飲むというのが、いい。読みながら飲むのでも、読む前に飲むのでもいけない。本を閉じ、しばし余韻に浸り、やがて深くため息をつきながら酒を注ぐのだ。いい酒でなくてもいい。というより、高い酒を買う金銭的余裕がない。でもそれでいいのだ。舌で味わうというより、まったりと脳で味わう。ほろ酔い状態で、たどってきた物語の中に入りこむ。
最近これをやってみて、よく酔いがまわったのがマキシーン・ホン・キングストンの短編『白虎』(『チャイナタウンの女武者』所収)だった。ファンタジーはずっと苦手だと思っていたが、それは単なる食わず嫌いのせいだったかもしれない。ファンタジーのほとんどは西洋の作品だが、ユニコーンや魔女にはピンと来ない。キングストンは中国系アメリカ人で、この作品の舞台のほとんどは中国である。水墨画の世界だ。中国に行ったことはないが、なぜか映像がはっきり想像できるのは、著者の筆力によるところも大きいだろう。ただし正確には、この作品はファンタジーではない。著者の置かれた現代の状況と対比させるために書かれた部分が、妙に幻想的なのである。白虎に狙われながら、主人公は山で修行をする。この小説と酒のおかげで、私は霧に煙る竜の岩山を、腹をすかせてよじ登り、鹿と一緒に裸足で駆けた。おすすめである。こういう遊びは映画鑑賞の後はなかなかできない。
さて、人と飲む酒もそうで、会話をかわしたあとで飲むのがいい。酒はもともと好きだが、人と話をするときに酒を飲むのはあまり好きではない。何より相手が何を言っていたか忘れてしまうのがつらい。もちろん自分の発言もだ。やはり、話した後で家に戻り、一人飲むのがいいと思う。そして今日もいい一日だったと思えればいい。
いずれにしろ、こんなふうに私は、事が終わった後でぐずぐずと一人その事に時間をかけつづける。いい本ならばさんざん余韻に浸り、できごとを頭の中で映像にし、落ち着いたら感想を書き、その本の他の書評を読み、著者の履歴や他の著書をチェックする。もともと本を読むのは遅いほうなので、一冊カタをつけるまでずいぶん時間がかかる。人との会話もそうで、人と会ってからずいぶんいろいろ思い出したり考えたり、書いたりする。酒を飲みながら話すと、こういうときはすでにシラフになっていて、思い出せなくていらいらしたり、なんであんなことを言ったんだろうと悔やんだりする。だから、飲まずに話し、帰ってから飲みたいのだ。帰ってから、もう一度話すために。こういう真似が自分にとっていいことなのかどうかはわからないが、「遊び」でおさまっているうちは、それでいいと思っている。目の前に白虎まであらわれるようになったら、ちょっと考える必要があるが。
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先日、それは美しい夕焼けを見た。拝みたいぐらいだった。昔は「夏の夕焼け、川向こう行くな。秋の夕焼け、鎌を研げ」と言って、夏の夕映えが鮮やかなのは嵐が来る前触れとされていたそうだ。つまり、夏にきれいな夕焼けを見たら川を渡ってはいけない、という警告である。確かにその夕焼けの翌日、台風7号が来た。昔の人の天気予報はなかなか正確だということがわかる。
ところで「秋の夕焼け、鎌を研げ」というのは、秋に夕映えがきれいだったら、その翌日は、天気がよくなるから収穫どきだ、という意味だそうだ。おもしろい。秋の夕焼けを見るのが楽しみだ。ところで、あくまでも聞きかじりなので、春と冬についてはご勘弁を。
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聞き上手になるのは大事なこと。これは若い頃からずっと聞かされてきた教訓だ。話しが上手な人より聞くのが上手な人のほうが、得るものがずっと大きいというのだ。私自身はどちらかといえば話すより聞く方が多いタイプである。あいづちを打つのは得意なほう。だから、おそらく自分は聞き上手なのだろうと思っていた。でも、それはまったくの勘違いだった。
ただ聞いているだけの人は聞き上手とはいわないのだ。聞き上手というのは、相手から何かを引き出すのがうまい人のことをいう。社会に出てからずいぶんたくさんの人に会ったが、この引き出せる能力を持った聞き上手には、めったに会ったことがない。いや、誰もこれといった顔が浮かばないほどだ。
この技術は確かに難しい。何かを引き出すためには、相手に対する想像力がかなり必要になってくるからだ。ところで実は最近になって、この想像力こそいまの自分の最大の課題ではないかと思えてきた。たとえば誰かに会ったとき、その体験からどれだけ宇宙を広げることができるかが問題だ。
でも現代社会で想像力を維持することは容易ではない。一つには仕事の分業化が進んだためだ。人々はお互いに共通体験を持つ機会が減り、そのため隣人の気持ちを実感できない。すると他者への関心もどんどん薄くなっていく。興味を持つ対象は成功した人間だけだ。それも自分を投影するため、もしくは自分がそこから何かを得るためだ。いっぽう隣人が孤独死しても気づかない。
とはいえ、頭がからっぽだった若い頃に比べれば、私も多少は想像力が上がったように思えるし、また相手のいいところを徹底してつついてみると意外な情報が飛び出してくる場合があるのも知った。どんなことにでも必ず何らかの理由---物語---があるということも。でも自分が体験した範囲を超える想像をするのが難しい。
きっと鍵となるのは、人に対するある種の「欲」なのではないか。人とつながりたい、という欲。他者を体験したい、という欲。つまり生を、この世界を、実感したいという欲だ。それは、自分がこの世に存在したいという欲でもあり、だから存在へのエネルギーと言ってもいい。無限の宇宙や時間に対してどこまで自分を主張したいと思えるか。「北京の蝶」という言葉が最近はやっているようだが、自分がそういう存在なのだという感覚を常に持っているかいないかで、ずいぶん違ってくるのではないだろうか。つまるところ人間関係もそんなところにかかっているのかもしれない。やはり年齢には、あまり関係がないのだろう。
実際、先日自分よりかなり若い人と話しをしたが、その会話のおかげで胸の内にひらめきのようなものが生まれ、結果仕事に対する考え方が少し整理できた。感謝している。この人はきっと長続きする人間関係を持つことができるだろう。なぜなら人はそういう人と話をしたいものからだ。
まず自分を持つこと。そこから世界とシンクロしたいと願い、想像すること。その積み重ねを長年つづければ、きっと本物の聞き上手になれるのではないか。さて、何十年かかることだろう。
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最近ぞろ目の怪にとり憑かれている。私がデジタル時計を見るたびに、分がぞろ目なのだ。たとえば6:33とか20:55とか、同じ数字が並ぶ時刻にちょうど時計を見てしまうのである。もちろんすべて偶然で、そうしようと思って見るわけじゃない。でも必ず双子の数字が目の前に並ぶのはどういうわけか。しかもここ一週間とかそんなものではなく、半年ぐらいずっとこうだ。この前やっとぞろ目じゃない時刻を見たと思ったが、よく見たら14:42だったのでこわくなった。
単純計算すれば11分おきにチャンスがあるわけだから驚くようなことではないし、あんまり人前で話題にすることでもない。でもこれまでにない経験なので、ひょっとして何かあるのではとおそれつつ、いやわくわくしつつ、暮らしている。
ずいぶん昔だが、ぞろ目の時刻を見るといいことがあると言っていた人がいた。その人が自分でそう感じたのではなく、誰かからそう聞いたと言う。ひそかに噂になっていたのだろうか。もしかすると口裂け女みたいな子供世界のサブカルチャーだったのかもしれない。私が子供のころはそういう類の迷信が山ほどあって、みんな大人の言うことよりそっちのほうを信じていた。
いまどきは子供もインターネットをやるから、コンピューター関連のネタもずいぶん出回っているに違いない。ぜひとも聞いてみたい。たとえば、フリーズが起こるときはどこかで誰かが死んだのだ、ぐらいのネタはありそうだ。
子供たちの間で人気のサイトはどれかというのも聞いてみたい。アニメやハリーポッターはもちろん人気だろうが、一方であやしいスピリチュアル系のサイトやのぞき見サイトやおどろおどろしいのなんかがひそかに話題を呼んでいるにちがいない。そういうサイトのアドレスをメールで交換しては盛り上がっているにきまっている。
今日街を歩いていたら、女の人が携帯で「もうあなたにはパソコンを使わせないわ!」と我が子らしい相手に向かってどなっていた。どうやらチャットのようなことをしていたら誰かに目をつけられ、名前を聞き出されそうになったらしい。でも大人からそんなふうに言われたら、きっとその子はますますはまっていくにちがいない。
というわけで話がそれたが、そんなこんなで子供のころを思い出した私は、ぞろ目を見るといいことがある、という噂をちゃんと信じることにした。ぞろ目はもうだいぶ見たから、きっとどでかいことが起こるだろう。でもこんなことをブログで公開したら御利益がなくなるんじゃないか。そう思っていま時計を見たら、1:50だった。呪縛(?)が解けたか。ちょっと惜しいことをしたような気がする。
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近頃増えて困るもの。
やせたガーデニングの土、アマゾンで本を頼むとついてくる箱、メールアドレスなどいろいろあるけれど、いちばん気になるのはパスワードとIDだ。あちこちのサイトにいちいち違うパスワードをつけて、全部覚えていられるわけがない。かといってどこかに書きとめておくのも不用心で嫌だ。だからがんばって記憶を維持せねば、と常に緊張感を持って生活している。
ときどき、ふと思う。もし記憶喪失になったら。もし航海中(?)嵐が来てどこかの島に取り残され十年帰ってこられなくなったら。または死ぬ間際に、家族が息も絶え絶えの私に向かって「パスワードを教えておいて」と聞いてきたら。私は視界が少しずつ暗くなっていくのを感じながら、恥ずかしいメールの文面などを脳裏に浮かべ、いやそれだけは、と思うだろう。いちばん嫌なのは、「あれ、なんだっけ。思い出せない。気持ち悪い」ともがきながら死ぬことだ。
みんながパスワードを持っていて、それを人に言ってはいけないということは、誰でも必ず一つは秘密を抱えているということだ。実は私は自分の好きなものの名前を省略したり暗号化したりしてパスワードの中に紛れこませているのだが、このようなパスワードのつけ方を話題にすることすらタブーという雰囲気がある。私も公共の場ではそっと背後を気にしながらパスワードを入力したりするが、そんなときは孤独感に襲われる。ときどき表へ駆け出していって「私のパスワードは! 実は!」と無性に叫びたくなることもある。人々が紙とペンを手にわらわら集まってくることもないだろうが、気分はずいぶんすっきりするだろう。
などといろいろ考えていたら、さっそくあるサイトのパスワードを忘れた。とても久しぶりだったのでIDまで忘れた。すっかり青ざめ、やはり自分を信じてはいけなかったと心から悔やんだ。ところが「パスワードを忘れた方は」というところをクリックして進んでいったら、ちゃんと教えてくれた。なんてことはない。パスワードの変更も簡単にできるどころか、むしろ頻繁に変更するよう推奨されている。悩んでいた私が愚かであった。でもやっぱり人には言えない。この秘密は墓場まで持って行くことになるだろう。そう思うと、ますます独自のパスワードづくりに念が入ってしまうのであった。
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