心と体

2009年10月30日 (金)

がん検診

あーも、最悪。今日は婦人科のがん検診だったんです。乳がんと子宮がん検診。泣きそうな気分です。大嫌いなんです。あれ。しこりがないか胸を触診されたり、あそこに器具を突っこまれたうえ、肉眼で覗かれるんですよ! それを男性医師がやるんです。女医さんて、まだまだ少ないんですよ。もちろん、こちらの健康のために仕事をしてくれているので文句は言えないのですが、でもどうしても(かなり)不快なのは否定できません。今日は評判のいい病院を選んだこともあって比較的感じのいいお医者さんでしたが、昔ひどい人にあたったこともあります。あと、マンモグラフィーっていう検査は初めてだったんですが、痛くて死にそうになりました。胸を左右それぞれ機械で平らにつぶした状態にしてX線写真を撮るんですが、もともと痛みを感じやすい部位なのに、それを根元からつぶすんですから、悲鳴を上げそうになりました。ただこちらは女性の技師さんだったので、まだよかったですが・・・。ほんの一時間で終わりましたが、病院を出てからも精神的になかなか立ち直れず、すぐに帰宅しました。悪夢です。いくら健康のためでも、毎年検査する気にはとてもなれません。がんのワクチンが、早くできますように。

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2008年11月11日 (火)

目のこと

 そうだったのか。ずっと前から、空を見ると目の前でもやもやするゴミみたいなのは何だろう、と思っていたが、やっと正体がわかった。飛蚊症(ひぶんしょう)といって、目の老化現象だったのだ。これまでは、きっと目の角膜に傷がついたんだろう、そのうち治るさ、と軽く考えていた。でも、これがあまり危険はないものの、治りもしないものだとわかったら、そのとたんに気になりだした。一生すっきりした空を見ることはできないんだ、と思うとさびしい。で、ちょうどコンタクトレンズを買う予定があったので、UVカットのコンタクトレンズに変えた。透明なので、見たところUVカットだとはわからないのがいい。サングラスをかけてもレンズと目の間に紫外線が入りこんでしまうが、コンタクトははりついているので確実に紫外線をカットしてくれる。もちろん、紫外線は老化の大きな原因。少し余計にお金がかかってもいいから、目の健康だけは死守したい。 

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2008年3月18日 (火)

5つの長所

 『さあ、才能に目覚めよう』(バッキンガム、クリフトン著)という本を読んでみた。この前なにげに読んだ本の中で推薦されていたからだ。内容は、人は弱点を克服するよりも、もともと持っている強みを伸ばしたほうがずっと効率よく高い成果を得られる、というもの。私も基本的にはそうだと思う。すでに16刷となっているから、かなり売れているらしい(ちなみに、びっくりするほど訳が読みやすい)。私はこういう本はたいていいつも図書館で借りるか書店で立ち読みしてすますのに、今回は価格が比較的安いということもあり、購入してしまった。というのも、一冊ずつカバーの裏にナンバーが印刷されていて、それを専用のホームページで入力すればオンラインで性格テストが受けられるようになっているのだ。
 これはストレングス・ファインダーといって、何百万人ものデータをもとにつくられたテストだそうだ。「活発性」「責任感」「学習欲」など、人間が本来持っている強みを34に分類し、そのうちいちばん当てはまる5つの強みを診断できる。著者によれば、こうした強みは誰でも生まれつき持っていて不変のものであるらしい。さっそく私もこの人気のテストを受けてみた。
 で、出た結果は「内省、慎重さ、共感性、調和性、最上志向」。
 「内省」というのは、一人で考えることを好み、それをエネルギー源にするような傾向。確かに一人でぐだぐだ詮ないことを考えていることが多いのでこれは当たっていると思ったが、「慎重さ」というのには首をひねった。私には衝動性があって、これまで慎重さとは対極にあるような人生を歩んできたから。このことは私の身近にいる人なら知っていると思う。しいて慎重な点をあげるとすれば、会ったばかりの人に自分の考えをすぐに表明しない。どういう人かを見極めてから親しくなるかどうか判断し、そのうえで初めて自分の意見を言う。そういう意味では警戒心が強く、壁をつくりやすいと言える。でも、そのせいか私の友人は尊敬できる人ばかりだ。
 「共感性」は他人の思いを察することができる能力。これはちょっと意外。これまで持ちたいと強く祈りつつ、持てないでいると思っていた。自分に年令や性別や国籍が似ている人はわかりやすいが、そうでないとわからないと感じることが多いのだ。
 「調和性」については納得できる。私は争いや摩擦や競争が何よりも嫌いだし、どんな人に対しても、失礼な真似はしないよう気をつけている。にもかかわらず、わからないのは、ときどき私のことを嫌う人が現れることだ。日本での話である。いやときどきではなく、何かのグループに混ざると、必ず一人は私を虫のように嫌悪し、それをあからさまに露呈する人が出てくる。そしてそのたびに、もっともな理由が思い当たらないので首をひねる。大抵は男だ。これは長年にわたる謎なのである。私自身はよほどのことがないと人に嫌悪感や敵意を感じないので、どうして自分がそこまで嫌われるのかわからないのだ。不細工なのは確かだし、口べたなうえに多少がさつなところがあるのは認めるが、でもたとえそれが理由だとしてもそれで相手を攻撃するのはおかしい。一般にマナーが悪いとされるアメリカ人のほうが、こういう点ではずっと上品なのはなぜだろう。
 さて最後の「最上志向」。なんでも最高のもの、優れたものをこよなく愛する。また「平均以下の何かを平均より少し上に引き上げる」ことにはまったく意味を見出さず、「平均以上の何かを最高のものに高める」ことに胸躍らせるのだそうだ。そして「持って生まれた天賦の才能を最大限に利用したいと考え」、「自分の強みを高く評価してくれる人たちと一緒に過ごすことを選び」、「弱点を克服させようとする人々を避ける」傾向があるそうだ。だからこの本を読む必要はなかったと・・・。でも、これって誰でもそうじゃないのだろうか。それに、実を言うと私は自分の弱点をクヨクヨ考えることが多いんだが・・・。そもそも日本では否応なく弱点克服タイプの教育を受けさせられるので、若いうちはそうしたくてもできないのでは。
 言われてみればこの5つの性格、多少の疑問を感じつつも、頭の片隅で最初から知っていたような気もしないではない。ただ、強みではなく欠点だと思っていたのだ。たとえば内省については「クヨクヨ悩みがちな性格」と思っていたし、慎重なのは「臆病」、調和性は「事なかれ主義」で、最上志向は「完璧主義」と考えていた。「共感性」については、共感できたとしても実際には他人をあまり助けられないので、「無能」もしくは「冷たい」という考えに至りがちだった。これらを長所だと説得してもらえたのは本当によかった。いずれにせよ、「内省」という項目以外はすべていまの仕事に役立つ資質かも? 欲を言えば、これらをどうすれば活かすことができるのか、もっと具体的なアイディアを読みたかった。
 ところで、こうして5つ並べてみると、いかにも鬱になりそうな人という感じではないだろうか。実際、その傾向が確かにある。精神科に行ったことはないので鬱病と診断されたことはないが、いちばん重かったのは会社を辞めて一年ぐらいたった頃。誰にも会えなくなって、買い物に出かける以外はほとんど引きこもり状態になっていた。そこまではいかなくとも、私はよく「プチ鬱」とも言える状態におちいる。いまもそうで、だからこうして自分のことばかり考えている。そんな自分が嫌でますます鬱になる。自己分析してみると、鬱になるのは自信を失ったときか(だからしょっちゅう)、人の悪意を目の当たりにしたときだ。こうなると運動も音楽も一瞬しか効かないようである。この状態から脱出するために、少し街に出かけて買い物をし、おしゃれでもしてみようかとも思うが、金を遣わなければ脱出できないというのは疑問だし、消費活動とポジティブという言葉をセットにすることで孤独な都会の人々をだました罪深い広告業界に洗脳され買い物に依存すれば事態は悪化するばかりだろうし、バブル世代らしい行動をとるのはまるで狭い枠組みから逃れようとしながらも実は別の楽な枠組みの中へ飛びこんで安心を得ようとしているだけで新興宗教を渡り歩く人々となんら変わらない、と果てしなく「内省」を続けて「慎重」になりすぎ、そんな中でふと、チベットでは人権を無視した弾圧が続いているというのにこの私は何を・・・、と「共感性」を発揮してさらなる鬱スパイラルへ落ちていく。とにかく早く意識を外へ外へと向けたい。本当は鬱になる暇がないぐらい仕事があればいいんだがっ!(これは最上志向?)

[追記]親友から、この夏帰国するというメールが来た。以前、いちばん重い鬱から浮上できたのはこの人の楽観的な明るさのおかげだった(楽しいお買い物やおいしいものやイケメン俳優なんかの話題で、一人でうきうき盛り上がれるのだ。すごい才能だと思う。聞いていると悩んでいること自体がばからしくなる)。だから私は少なくとも夏には復活できそうである。よかった!

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2008年2月16日 (土)

病院へ

 昨日の朝、いきなり血尿が出た。びびってすぐにいちばん近い総合病院へ。30分ぐらいかけて一人で歩いて行ったのだけど、つらくて途中で泣きだしたくなった。こういう、救急車呼ぶほどじゃないし、タクシー呼ぶほどの距離でもないし、バスを待っているとかえって体が冷えるし、自転車ないしって場合、ほんと病人はどうすればいいのでしょうか。ふと杖をついて歩いているお年寄りを見て、真剣に考えてしまった。たいしたことないのに救急車を呼ぶ人がいるって話をよく聞くけれど、一人暮らしのお年寄りがわけのわからない症状に見舞われたら、心細くて思わず呼びたくなってもしかたないと思う。若い私ですら、病院の電話番号を調べて症状を説明して予約をとることだけで、すでに大仕事に思えてつらかった。病気のときってみんなそう。119番は規模を拡大するべきではなかろうか。そしてつきそい派遣みたいなシステムをつくって、電話を受けた段階で救急車かつきそいか判断して派遣する。それも必要なければ近くの病院につないであげるなど、きめ細かく対応するのだ。一人暮らしが増えたいま、救急医療はもっと時代の変化に対応すべきだ。さて話がそれたが、病院に行くと、いるわいるわ、世の中には病人がこんなにいるのか、と驚くほどわんさと患者が待っている。一見するとみんな顔色がよく、おしゃべりに花を咲かせ元気そうだが・・・。私はさっそく尿検査。すると、ますますひどいヘドロのような茶色い尿を提出することに。でも先生によるとこれは膀胱炎で、薬を飲めばすぐに治るそうなので、ほっとした。そういえば10年前ぐらいにも同じような症状になったことがある。会社をやめるきっかけの一つにもなったのだ。それがなんでいま? ネットで調べてみると、膀胱炎にかかる人は意外と多いらしく、間をおいて再発する場合もけっこうあるようだ。ちゃんと治さないで放置すると、今度は腎臓が悪くなるらしい。それにしても、血尿まで出すことになった今度の仕事、みんなに喜んでもらえるといいな・・・いや、ちがう。これは仕事のせいじゃないです。仕事そのものは大好きなんです。むしろここのところ何人も新しい人と名刺交換する機会があって、人見知りの私は何日も前から過度に緊張してしまい、それで血尿がコンニチハしちゃったんだと思う(だから本当に前の仕事は向いていなかった。ふー)。小さいときからの人見知り、このせいでずいぶん人生変わった。なんとか克服したいけれど、いったいどうすればいいんだろう? とにかく、こんなことになったのが仕事が一段落してからでよかった。前からそうなのだが、正念場ではおかしくならないのが、私の体のえらいところである。

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2007年11月 4日 (日)

はしるはしる

 昨日ちょっとストレスがたまることがあって、ダウンした気分でいたのだが、公園をひとっ走りしてきたら、ずいぶんすっきりした。走っていると、自分がこのような場所でこのように走れる、という事実に素直に感動してしまうのに驚かされる。なぜだかありがたい気持ちがわいてくる。そしていまの自分を守ってくれている何かに感謝する。若いときに走っても、こんな気持ちにはけしてならなかった。年をとるにつれ、自分の体が愛おしくなるのだろうか。それとも、自然との一体感みたいなものを感じて、スケールの大きな気持ちになるのだろうか。帰ってゆっくり風呂につかったら、不愉快だったことも、たいしたことではないように思えてきた。心がしゃきっとした感じだ。これまでずっと「歩く」派だったのが悔やまれる。こんなふうに短時間に無料でストレス解消できるうえに、ネガティブな気持ちから自由になって体力もつくんだから、ずっと続けていればよかった。いまのところ、ニューヨーク・シティ・マラソンに出走してハーレムを走り抜けるのが目標だ。
 ところで最近アイマッサージ器なる健康器具が人気らしい。今年の(自分への)クリスマス・プレゼントはこれかも。それから姪にお絵描きセットを買わねば!

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2007年5月22日 (火)

Run, Baby, Run

最近走っている。体力の低下を食い止めようと一念発起したのだ。常日頃深く悩んでいる肩こり対策でもある。血のめぐりをよくして、体を若返らせようというプロジェクトだ。しっかりジョギングウェアも買った(下だけだけど)。たいていは夕方ぐらいの時間に、近くの公園をひとっ走りして帰ってくる。景色を眺める余裕もなく、はっはっふっふっとひたすら前方2メートルぐらいの路上を見つめながら走っている。頭の中にはシェリル・クロウのRun, Baby, Runなんかが鳴っている。走っている途中、少しでもつらいと思ったら歩く。無理をすると、次のとき走りたくなくなるからだ。どれだけ走れるかより、どれだけ続けられるかのほうが大事なのだから、ちょっとでも嫌になったらすぐさま自分を甘やかす。しかも走るのは毎日ではなく一日おきか二日おきだ。

最初はさすがに年令を感じた。公園に着く前にもう歩かねばならなかった。思えば高校のとき以来まともに走ったことはない。あれからン十年もたっている。最初に走った日はさすがに体がびっくりしたらしく、しばらく腰が痛かったし、数日たったら筋肉痛にもなった。でも何回か走ると、驚くほど体が適応してくれたので感動した。おもしろいほど、どんどん距離が伸びる。私の体もまだまだ使えることがわかってうれしい。しかもジョギングを終え、汗をかいてぜいぜいふらふらと帰宅してから風呂に入ると、なんとも爽快である。本当ならここでクーっとビールを一杯やりたいところだが、仕事があるのでそれは我慢。そういえばここ数ヶ月、一日も仕事を休んでいないが、正念場なので仕方ない。

この仕事が終わったら、親友Mのいるニューヨークへ行くつもりだ。そうして乾杯するビールがいちばんうまいにきまっているから、それまでとっておく。私にとっていまやっている仕事は一つのステップアップであり区切りでもあるが、いまや会計士として個室と秘書を持ってバリバリ働いているMにとっても、五年というのは一つの区切りのはずだ。大志を抱いて語学の勉強のため一緒に某大学の図書館通いを始めたのがきっかり五年前。お互いによくやったねーっとこの五年間を振り返って思い出話をしたい。そしていちばんつらいときに一緒にいてくれたことに感謝もしたいのだ。でもよく思うのだが、感謝というのはそれが心からのものであればあるほど、どうお返しすればいいかわからなくなるものだ。形式的であればあるほどふさわしくないように思えるが、かといって何をやってもまったく足りないように思える。結局、途方に暮れる。

話がそれたが、ジョギングをして風呂に入ると肩こりが治っていた。これは画期的な体験である。頭の回転も少しよくなっているような気がする。ジョギングよりウォーキングのほうが体にいいという説をずっと信じてきたが、その信念も疑わしくなってきた。ジョギングにはまりそうだ。ひょっとしたら来年の二月は東京マラソンに参加しているかもしれない。こうなると夢はどんどんふくらむ。次はボストン・マラソンだ!

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2007年4月 6日 (金)

傷だらけの春

 この前受けた健康診断の結果がやっと届いた。コレステロール値が上がっているのではと思ったのだが、意外とそんなこともなく、ほぼどの値も基準値内だった。最近運動不足だったから、うれしい。それはいいのだが、気になるのは血清ペプシノーゲン検査というので陽性になったことだ。十年前に尿蛋白が出て引っかかったとき以来の「陽性」の文字に、ちょっとびびる。

 これは何かというと、胃粘膜の萎縮の度合いを調べるものだそうで、これが陽性の人は「胃ガンが発生しやすい状態」であるらしい。たぶん慢性胃炎だろう。いちばんこたえるのは「陽性となった方が陰性に戻ることはほとんどないと言われています」と書いてあったこと。つまり、この先一生、健診を受けるたびに「胃の精密検査を受けてください」と言われるってことか?

 なにか一生消えない傷を残したような気分である。とはいえ実は、一生消えない傷をもう持っている。それも脛に。しかも両脚に。まさに脛に傷持つ身なのだ。その昔、校庭の鉄棒で遊んでいたら、背の低い子用に置いてあったブロックの角に、脛をまともにぶつけた。骨は折れなかったが、肉が裂けた。血が出てショックだった。でもそのことよりも、そのとき一緒にいた友達が、私がだらだら血を流しているのに、「大丈夫?」と一言聞いただけで自分のおしゃべりを続けていたことのほうがかなしかった。にもかかわらず血を流しながらしばらくそれに聞き入ってしまった私も、馬鹿だった。そういえばあれもたしか、春だったよなあ。  

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2006年11月23日 (木)

救い

 最近、懐メロばかり聴いている。といっても十五年ほど前のものばかり。Christopher CrossやAce of Base、Aswad、それにBasiaやなんかだ。これらの音楽をもう一度聴いて、当時の自分を少し思い出してみたくなったのである。なんといっても音楽は、記憶の足がかりになる。その頃の私はすごい勢いで働いており、忙しくて睡眠時間がなく、ときには三十分しか横になれないこともあった。あとで調べたら、同じ時期に過労自殺したことで新聞に大きく出た電通社員と同じ労働時間だった。当時は朝、何がなんでも寝床から自分をたたき出さなくてはいけなかったので、目覚まし時計二つの他にCDプレイヤーのタイマーをかけていた。問題はどの音楽をかけるかで、実のところあまりこれといったものは見つからない。確実に目が覚める威勢のいい音楽といっても、ハードロックやヘヴィメタを眠い耳に入れるのはまるで拷問だ。静かすぎてもいけないが、やや抑え気味がいい。もちろん曲調は明るくないとますます気がめいる。そんなわけで、しばらくKaryn WhiteRomanticThe Manhattan TransferLet’s Hang onといった軽い感じの曲に頼っていたが、あるときからBasiaBrave New Hopeに変えた。いい曲だが、もともとはそれほど好きな曲ではなかった。でも苦しいときに「Hope」や「Dream」といったポジティブな言葉が耳に飛び込んでくるのが、せめてもの救いになったのである。何より「Free」という言葉を、寝床に正座し枕に頭を押しつけて、うめきながらすがりつくように聴いた。実際の歌詞は失恋をうたっていたが、そんなことはどうでもよく、とにかく何か新しい世界が始まるというコンセプトが必要だった。何しろ当時は目が覚めたとたん胸が重く苦しくなって、何もかも放り投げたくなっていたのだから。仕事がどうしても合わず、嫌でたまらなかった。だが何も突破口は見えず、閉塞感にさいなまれた。そのうえの超がつく過重労働である。職場で平気な顔をするために精神安定剤に頼ることもあった。いま思えば、なぜあんなに真面目にやっていたんだろうと悔やまれる。

 誰でも追いつめられたり、異常に忙しかったりすると、自分の状況が客観的に見られなくなる。ただ「自由になりたい」というのが、次第に「死にたい」になってくる。亡くなった電通の社員の心中はいまは知りようもないが、少しならわかるような気がする。最近は連日にわたって自殺者の話題がニュースに流れるが、これはただ「じゃあ辞めればよかったのに」とか「転校すればよかったのに」で済む話ではないのだ。人間は許容範囲を超えるほどの重圧を受けると、通常の思考能力や判断力を失う。それは普通のことだ。だから自殺は、誰にだってありうることだ。では、周りの者はどうすればいいのか。彼らの気をそらすために外部の情報をたくさん提供するというのは、一つの方法だろうと思う。たいていの場合、彼らは狭い世界の中で一つのことばかり見つめすぎているからだ。つまり、こことはまったく違う世界があって、いつでもそこへ安全に飛び込んでいけるのだ、ということを無理矢理にでも知らせるのである。そして、それは「逃げ」ではないということも。また、外国へ出すとか、学校を変えるとか、まったく違う環境に入れる。それが不可能なら、せめて違う環境にいる人とじっくり話してもらうとか、趣味のグループなどの逃げ場をつくるとか、とにかく違う世界の人間の活動について知ってもらう。でもまずは、可能なら言いたいことを全部吐き出させるほうがいいだろう。中高生なら、一般の社会人の中にメンターのような人がいるといいのではないか。元気のない人を見かけても、あまりおせっかいをやけない立場にいるというのなら、気晴らしになる曲や本をプレゼントするだけでも力になるかもしれない。これなら誰でも簡単にできることだろう。味方がいるということを知らせることにもなる。そういう「押しつけ」なら許されるんじゃないか。

いまでも例の曲を聞くと、あれこれよみがえってきて、つい涙腺がゆるむ。いまは心底、死ななくてよかったと思う。同じ音楽を聴いても、歌詞よりもメロディーにメッセージを感じるのはなぜだろう。メロディーに心がひらき、音楽が美しく聞こえる。

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2006年11月 3日 (金)

意味による癒し

 いつまでも忘れられない本。フランクルの『意味による癒し』はそういう本だ。フランクルは強制収容所での体験を綴った『夜と霧』で有名なユダヤ人だが、実は戦後、優れた精神療法医として活躍した。この本には、その彼が開発したロゴセラピーという療法の何たるかが書かれている。

 ロゴセラピーというのは、意味づけによって心の病を克服しようという試みで、詳しいことは本書をお読みいただきたいのだが、その中に「逆説志向」という方法が登場する。たとえば、ある女性の被験者は、汚れや乱雑さを極度に嫌い、一時間に何度も手を洗う汚れ恐怖症のような状態に悩んでいた。そこで医師は、意識的に自分が汚れるように、また家の中を散らかすように「努力」するよう指導する。女性は、家の中を汚そうと律儀にパンくずと水をまきちらす。するとそのうち、自分が馬鹿げたことに囚われていたと気づくのだそうである。

 これは私たちの日常にも応用できそうだ。スポーツ選手などが大舞台に立つ前に、成功した姿を具体的にイメージせよ、などとよく言われるらしいが、実は逆で、「信じられないような大失敗をしたらきっと目立てるし早く家に帰れるのに。ああ失敗したい。そうだ、客にぶつけられるなら玉子よりケーキがいいなあ」ぐらいに思うほうがリラックスできるのかもしれない。

 もちろんこの本の主旨はそういう話ではなく、人生の意味についてもっと深遠な考察が書かれている。たとえば、いま再びぺらぺらとめくっていたら、こんなフレーズがあった。

「苦悩の原因になっている状況を変えることが本当にできないとすれば、その場合にもなお選択できるものは態度なのであります。かつてオーストリアのテレビで耳にした、あるポーランドの心臓病学者へのインタビューを私は決して忘れることができません。『・・・どうか聞いてください。・・・もしナチの親衛隊が、その場であなたを処刑するために、あなたをガス室や集団墓地へ連れて行くとすれば、あなたにはもう何もすることができません。頭を上げて、堂々とその道を歩むこと以外には何もできないのです。いいでしょうか。このことこそ、私がヒロイズムと呼びたいものなのです』。・・・このように、人生は、どのような条件のもとにおきましても、たとえそれが快適なものであろうと惨めなものであろうと、潜在的に意味があります。」

もう一度読み返したい気になっている。

   意味による癒し ロゴセラピー

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2006年10月23日 (月)

潜在意識

 私は偏見など持ちたくない。持つべきではないし、実際に持っているとも思わない。でもいくら頭でそう考えていても、潜在意識ではどうなのか。実はそれを試せるテストがあるのを今日知った。IATテストというのだが、ご存じだろうか。日本語で言うと潜在的連合テストだ。詳しいことは次のサイトで見ていただきたい。https://implicit.harvard.edu/implicit/ ここでは実際にテストをやってみることができる。もちろん私もさっそくやってみた。すると興味深い結果が出た。私は老人と若者のうち、若者のほうを強く選好する傾向がある、という。思わず声を上げた。本当なのかっ。以前より私は、若者はつまらん、年寄りのほうがおもしろい、と思っていた、というか自分はそう思っていると信じていたので、少しくショックである。ただし、テストに使われる顔写真がみな白人だったことを付け加えておきたい。白人の老人に知り合いが一人もいないため、親しみを感じられなかったのではないか。東洋人の顔でもう一度やれば、きっと違う結果が出るだろう。さて、次に人種のテストを受けてみた。白人と黒人だ。なんとなく、いやかなり緊張した。黒人に強く選好と出るかもしれない。でも結果は、ほとんど同じ選好、だった。正直ほっとした。最後に日本と米国でテストをしたが、これは当然のように、日本をやや選好する傾向があった。他にも太った人とやせた人とか、いくつかあるので、試してみてはいかがだろう。意外な結果が出るかもしれない。

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